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映画監督・三宅唱×映画評論家・森直人。二度と観たくない名画ってなんだ?

素晴らしいけれど、それゆえ2度目になかなか手が伸びない映画とは、作り手にとって、あるいは観賞者にとってどのような作品のことを指し示すのだろうか。映画監督の三宅唱さんと映画評論家の森直人さんの対話を通じてさらに掘り下げてみた。

初出:BRUTUS No.973「何度でも観たい映画。」(2022年11月1日発売)

edit & text: Emi Fukushima

森直人

「二度と観たくない名画は何か」って難しい問いですよね。三宅さんはパッと思い浮かびました?

三宅唱

それが、かなり悩みました。例えば、素晴らしすぎて嫉妬してしまうから、あるいは影響を受けすぎてしまうから観たくないと作品を挙げる監督もいるかもしれないけど、僕自身にそういう感情はなくて。

そうなんですね。

三宅

特に20代の頃は、強い文体を持つ映画を観ると逐一影響を受けていました。節操がないから、どんどん真似して失敗したりして(笑)。

三宅さんが思う強い文体を持つ映画って例えばどんな作品ですか?

三宅

監督で言えば、ジョン・カサヴェテスとかホウ・シャオシェン、トニー・スコットもそうですね。「こんな映画もありなんだ、じゃあやってみよう」と真似するのが楽しかった。今でこそ、監督のスタイルって、それぞれが対峙するテーマに適したアウトプットの末に生まれるものだと理解していますが。

なるほどね。となると、今の三宅さんが作り手目線で2度目を観るのをためらう作品ってありますか?

三宅

逆に、文体を持たないかのように見える、“普通”のアメリカ映画ですね。象徴的なビジュアルや目立ったショットがなく、監督名が気にならないような、まるですべてが物語に奉仕するような透明な娯楽映画。もともとそんな映画が好きだし、でも、今の自分ではできる気がしない。

例えば職人的なロマンティックコメディだとか、あえて監督名を挙げるならロン・ハワードの作品。特に『アポロ13』なんかそうかも。

確かにロン・ハワードって、作家の“サイン”がないことが彼の作家性であるとも言えますよね。

三宅

あんなふうに、その都度扱う題材にふさわしい語り方をその都度選んでいる監督の作品を観ると、果たして今の自分は、主題と離れて突飛なことをやっていないだろうか、とつい考えさせられるんですよね。

面白いなあ。三宅さんは、『THE COCKPIT』や『きみの鳥はうたえる』しかり、そして新作『ケイコ 目を澄ませて』しかり、作品を経るごとに、引き算で夾雑物(きょうざつぶつ)をなるだけ取り除いていって澄明(ちょうめい)な方へ向かっているというか、映画の純度を高めることに集中されている気がします。ロン・ハワードってまさに映画の純度を突き詰めている監督。これは監督・三宅唱のガチな回答ですね!

三宅

(笑)。まあロン・ハワードは一例ですが、アメリカにはこんなにも“普通”の映画があるなら、自分の出る幕なんてないなとも思うんですよね。へたに真似すると勝負にならないから、今の自分は日本で別のものを作らないといけないなとも。悔しいけど。

透明で純度の高い映画を職人的に撮ることができるハリウッドの映画システムも含めて、敵わないなと。

三宅

そうですね。

それにしても、ロン・ハワードの映画を二度と観たくない作品として挙げる人、多分世界で三宅さん1人だけですよ(笑)。僕のような無責任な観賞者は、ああいう胃もたれしないシンプルでエレガントな映画って何回でも観たくなるので。

三宅

森さんが二度と観たくない名画ってなんですか?

一本すっと思い浮かんだのが、デレク・ジャーマンの遺作『BLUE ブルー』です。作家性が際立った映画で。観たことありますか?

三宅

うわー全然通ってこなかった。

74分間、ずーっと青一色なんです。グラデーションがあるわけでもなくひたすら一定の青。そこに、ティルダ・スウィントンらのナレーションとサイモン・フィッシャー・ターナーの音楽が流れるだけのミニマリズムの極致みたいな映画で。ミニシアターに観に行って、本当にずっとこのままなのかな?とドキドキしたことを覚えています(笑)。

三宅

やばい映画ですね(笑)。

デレク・ジャーマンは当時、エイズの合併症の末期状態でほぼ盲目で、視覚障害者のための映画として彼が想像したのが青の色彩だったらしくて。

映画において生命線とも言える視覚要素を最小限にしてしまったかなりの実験的な作品なんですが、僕はこれを観てから、どんな作品でも「映画」だと思えるようになったんです。映画観賞の極みとも言える体験を上書きしたくないという意味で、二度と観たくないですね。

三宅

へ〜、なるほど!

あともう一つ、似たような理由で観たくないのが21世紀型の大型エンタメ映画。要は、3DとかIMAXで観賞させる映画のことなんですが、例えば、アルフォンソ・キュアロンの『ゼロ・グラビティ』とかクリストファー・ノーランの『ダンケルク』。あれってコンパクトな配信視聴だとほぼ意味がない(笑)。

三宅

確かにそうですよね。1回目の観賞がすべてというか。

アトラクションの隣にあるシネマの形ですからね。「映画の臨界点」に迫る意味では『BLUE』と重なる実験映画に見えるんです。

映画観賞とはある意味、マゾヒスティックな体験だ

あとは、観るのにエネルギーがいる作品ってありますか?例えば、物理的に上映時間が長い映画などは体力を使うと思いますが。

三宅

そうですね、ほかには、ドキュメンタリーもエネルギーがいるかも。映し出されているのは、あくまで実際に起きていること。特に過酷なテーマの場合、観ている自分も傷ついてしまうというか。あとは、ギャンブル映画!

あ、確かにね!

三宅

映画ってある意味マゾヒスティックな体験だと思っていて、その究極がギャンブル映画。面白いんだけど、最後はすっからかんになるのがオチなので、虚しさと徒労感だけが残る(苦笑)。でも、それがわかってても必ずドキドキするんです。僕が好きなのはジャック・ドゥミの『天使の入江』。とにかく何もうまくいかない(笑)。

三宅さんは結構映画の世界を全身で食らうタイプですよね。

三宅

そうですね、真っすぐダメージを受けますね(笑)。でもそうは言いつつも、結局どの映画も真剣に観直せば、全く別の驚き方や発見ができるから、やっぱり何度も観てしまうんですよね。憧れる純度の高い映画であれ、一回勝負の映画であれ、徒労を感じる映画であれ、その時その時にしか感じ得ないものがあって。

同じ映画なのに、違う体験になる。観る側の環境や心身の状態で、映画の見え方がぜんぜん変わる。

三宅

そうそう。だから、二度と観たくない、あるいは何度も観たいと思ったところで、どうしたって1回目と同じようには観られないのが映画なのかも。不思議ですよね、作品自体は何年経っても変わらないのに。

映画監督・三宅唱、映画評論家・森直人
左から/森直人、三宅唱。