最新までのいきさつ
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1968年:
東京・神保町で岩波ホールが開館する。(1)
1980~90年代:
東京・渋谷にシネマライズ、ユーロスペースなどが続々オープン。ブームとなる。(2)
2000年代後半:
シネコンが台頭し、ミニシアターブームは下火に。
2010年代後半:
大阪や横浜を中心に、ミニシアターがまちづくりの一つの拠点に。
2020年:
京都・出町座が、映画館運営に初めてクラウドファンディングを導入する。
2022年:
東京・下北沢で、地域の文化拠点として〈K2〉がはじまる。
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持続可能性を見据え、街や人に開かれた
「共有地」のような場所を目指して。
話を聞いた人:大高健志(K2発起人)
BRUTUS
コロナ禍の今、新しくミニシアターを造ることになったきっかけを教えてください。
大高健志
2019年に私のもとに下北沢の再開発で誕生する商業施設内にミニシアターを造れないかとの相談がありました。
お話を進めていたところコロナ禍となり、ミニシアターが窮地に立たされたため、濱口竜介監督、深田晃司監督を含めた映画関係者5名でミニシアター・エイド基金を立ち上げたんです。
その時に全国のミニシアターがいかに地域に根ざし、愛される活動を長年続けられてきたのかを実感しました。この経験から新しくミニシアターを作ることの重要性を改めて感じたこともあり、最終的に私もメンバーの一人である企画プロデュース団体〈Incline〉でK2の運営を行うことになりました。
BRUTUS
これからの時代に生き残るためのミニシアターとしての戦略とは?
大高
コロナ禍を踏まえたこれからのミニシアター運営に求められるものは、地元住民や映画以外のカルチャーなど関係する人や物事と連携するエコシステムの構築を目指した、持続可能性のある発想だと思います。
K2は映画館でありながら街や人に開かれる共有地のような形にして、自分事になる人を増やしていく。それによって場所自体の活性化に取り組んでいきます。
下北沢で映画館を運営するのであれば、ライブハウスや劇場、古着屋、飲食店などと関連する映画を上映して、相互に盛り上がり、集客できる取り組みを行っていくのがいいと考えています。
例えば、K2では上映前に流れるマナー動画に登場するのは地元商店街の方々。お店の紹介もすることで、ご本人はもちろん、上映後にお店に立ち寄ったお客様も、K2での体験がより自分事に感じられると思います。
ライブハウスと連携してライブの開催と音楽ドキュメンタリーの上映を同時期に行うなども構想中です。2月にはアートブック『MAKING』を出版し、街や映画作りの過程を見せることで、K2に足を運んだりいろいろな映画を観たりするきっかけ作りも行います。
コロナ禍で人々の移動範囲や商圏が狭くなっている今だからこそ、その中の濃度をいかに高められるかが重要だと思うんです。
BRUTUS
運営するにあたり、目標とするミニシアターはありますか?
大高
岩波ホールとシネマライズです。良質な作品を長くじっくり上映する経営方針に憧れます。
K2では新作も旧作も織り交ぜて上映しますが、良品を見逃してほしくないという意味でも、作品が頻繁に入れ替わることによるスタッフの負担を軽減する意味でも、ロングラン上映にはこだわりたいです。
春にはオンラインコミュニティを「BASIC」というプラットフォームで立ち上げる予定です。上映作品に関連した作品をオンラインで観られるようにしたり、メンバー間で人気の作品をK2で上映したり。映画館に愛着が生まれるような場にしたいと思います。