フリーウェイは運転するの
ではなく参加するもの
コルベット・スティングレイの運転席に腰かけ、指にはタバコをひっかけ、気だるい表情でこちらを見つめるディディオン。1968年、ジュリアン・ワッサーが撮影したポートレートで、マッチョなクルマとやせっぽちの彼女の対比が絶妙な“歴史的名ショット”である。
ジョーン・ディディオン。60年代“ニュージャーナリズム”の先駆者であり、小説家であり、映画の脚本家であり。現在、Netflixで彼女についての最初で最後のドキュメンタリー映画『ジョーン・ディディオン:ザ・センター・ウィル・ノット・ホールド』が配信されている。
80歳を超えたディディオンが自身の半生を振り返る内容で、身ぶり手ぶりを交え、ユーモアセンスたっぷりに話す姿が実に愛らしい。
「フリーウェイを運転することは、フリーウェイに参加することとはまったく違う。フリーウェイを“運転”することは誰にでもできる。そして、多くの人々は、ここでためらい、抵抗し、車線変更のリズムを失い、どこから来たのか、どこへ行くのかについて考えるのだ」。
ディディオンの名著『The White Album(60年代の過ぎた朝)』に収録されているコラムの一節である。これを読んだとき、目から鱗が落ちた。高速道路を走るとき、交通システムに「参加」するという感覚を持ったことがなかったからだ。
彼女はこう続ける。「参加するということは、そのシステムに完全に身を委ねること、麻薬中毒のような強烈な集中、自由な道への喜びが必要なのだ」。ディディオンのスティングレイは、ニューヨークからロスへ居を移したときに購入したものだったという。
なぜスティングレイだったのかは明かされておらず、60年代カウンターカルチャーという「フリーウェイ」に「強烈な集中力」で「参加」するためだった、とワタシは推測している。が、もしかすると、スティングレイの愛称が“コークボトル”だったからかもしれない。
当時彼女は、コカ・コーラが大好きで、毎朝瓶入りコーラを飲むのがルーティンだったという。ディディオンは2021年12月、共同執筆者だった夫ジョン・グレゴリー・ダン(03年没)と、一人娘クィンターナ(05年没)のもとへと旅立った。87歳だった。