創業明治17(1884)年。当主・小高登志さんで5代目になる。10時45分。外には11時の開店を待つ人たちで行列ができ始める。暖簾が出るや、店内は5分もすれば満席。お天道様が真上まで行っていないのに、もう「御酒」を注文している人がいる。蕎麦屋は昼間っから堂々と酒が飲めて嬉しいねぇ。手酌の客の顔にそう書いてある。
「祖父が2代続いた蕎麦屋を買い取り、父が店主になったのですが、当時は木鉢でこねて機械でのしてましたね。老舗の蕎麦屋は今もほとんどがそのやり方ですが、私は手打ちがやりたくて、大学を出てから蕎麦打ちを習いに行ったんです」。
昔は登志さん、打って打って打ちまくっていたらしい。今も手打ちにこだわり、若旦那や職人さんがローテーションを組んで、1日30回は打つとか。大晦日は1日だけで200回も打つそう。
日に何度も打つ
外2割の蕎麦。
朝、昼の分を2人で打ち、追いかけで昼、夕方、夜と打ち続ける。蕎麦は外2、つまり蕎麦5につなぎ1の割合。蕎麦粉は群馬、北海道、秋田産など。一度に打てるのは35食分。
老舗蕎麦屋の人々
〈神田まつや〉の厨房には、若旦那と役割別に職人さんが6人。ホールを守るのは大旦那、大女将に若女将、そして花番さんの面々。
さて、席に着いたら、ぐるっと店の中を見回そう。忙しく立ち働く、エプロンをかけたホールスタッフが「花番」さんだ。注文したいものが決まったら、花番さんに頼もう。みんな気持ちのいいお姉様たちだから、ご安心を。
〈まつや〉の常連だった池波正太郎さんはこう言った。「酒を飲まぬくらいなら、蕎麦屋へなんぞ入るな」。仰せの通り、まずは一献。
蕎麦を待つ間に飲む酒は、「蕎麦前」と呼ばれ、江戸の昔から男の嗜みだった。つまみは蕎麦屋の厨房にあるものが中心だ。かまぼこ、海苔、それに卵焼き、天種(天ぷら)などなど。蕎麦屋は男の憩いの場。朝昼晩と飲む客が絶えず、いい雰囲気だ。
ほろ酔い気分になったら、いよいよ蕎麦だ。いや、その前に、「蕎麦がき」いっちゃう?蕎麦がきの「がき」は「搔き」。蕎麦粉を熱湯で激しくかき混ぜて作る。腹の足しばかりでなく、いいつまみにもなる。ちびちび飲んで、さっと蕎麦を手繰る。それが江戸の男の粋だった。
老舗のワザが光る麺ゆで。
蕎麦は1分半ほどゆでたら、すくい出し、水(つら水)をかけて粗熱をとり振り洗いする。化粧水をかけ、横に置いた楕円の横びつにつけてから、別のざるにあけて盛りつける。道具はすべて竹製と木製。
蕎麦はやっぱり、もりに尽きる。通ぶって、つゆにつけず、蕎麦だけを手繰る輩も多いが、それは果たして粋なのか。登志さんに聞いた。
「最初のひとすすりくらい、蕎麦だけで香りを楽しむのも一興。辛口のつゆなら、蕎麦の下3分の1ぐらいをつけて召し上がるといいのでは」。早速マネしてみると、蕎麦の香りとつゆの旨味がバランスよく口に入ってくる。〆は蕎麦湯。体の芯まで温まって、はい、ごちそうさん。また来るよ。