小説にエッセイ、脚本、雑誌の連載。日々膨大な書き仕事をこなす又吉直樹さんの筆は、場所を変えながら進んでいく。「一ヵ所にとどまって書くのはどうも苦手で、以前は2時間くらい自宅で作業をしたら、喫茶店に行って。またそこで2時間くらい書いたら、気晴らしも兼ねて30分くらい歩いて別の喫茶店へ行き、また書く。それを繰り返していました。コロナ禍になってからは、リビングと書斎を行き来したり、あるいは椅子を替えたり、机を替えたり。自宅の中で、やっぱり転々としています」
転々としながら、筆は進む。
書斎に、リビングに、喫茶店にと所を替えて進む又吉さんの書き仕事において、とりわけその筆の行方を左右するのが「椅子」。かつてその名を冠した雑誌を作ったこともあるほど無類の椅子好きの彼は、自宅に10脚ほどお気に入りを揃えている。
「大きい椅子に座るとゆったりした気持ちになるし、小さい椅子に座ると身が引き締まる。同じテーマでものを考えても、椅子によって出てくる発想は変わる気がしていて。自宅での作業が増えてからは、エッセイは笑えた方がいいからラウンジチェアに、小説はじっくり考えたいからゲーミングチェアに、と文章のテンションに合わせて椅子を替えるようになりました」
椅子を深く考察する又吉さんが新たに書き下ろしたのが、『WOWOWオリジナルドラマ 椅子』。実在の椅子と女性の人生が交錯するオムニバス作品だ。全8話、毎話異なる名作椅子が登場するのも見どころだが、セレクトは又吉さんによるもの。
「まずは本からいいなと思うものを脚ほど粗選びして、実物を見て、そのものの佇まいから8脚に絞りました。物語も、プロフィールを見て、どの時代に作られたのか、デザイナーがその椅子を作った時にどんな発言をしていたか、どういう場面で使われているかなどを調べて膨らませていきましたね」
選ばれたのは、〈イームズ〉のラウンジチェア「ラ シェーズ」、背もたれのY字が特徴的な〈ハンス・J・ウェグナー〉の「Y−チェア」、アルミ素材の「ネイビーチェア」などの名作の数々。物語を作るにあたりこれらの椅子と深く対峙した又吉さんだが、翻って自らが腰をかけるならば、どれが好みだろうか。
「Y−チェアは安定しているので、どんなテーマも書きやすいでしょうね。ネイビーチェアは独特の質感があるので、アイデアが欲しい時にはいいかも。でも、どれも1時間ずつじっくり座って検証してみたいですね。10分くらいなら気持ちいいけど、30分くらい座ると急に疲れる椅子ってあるじゃないですか。やっぱり相性が肝心。椅子って、布団みたいなもんですから」