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九龍ジョーが選ぶ6冊。師匠から弟子へ、受け継がれる言葉

大事なことはメモれ、コピれ。ましてやそれが尊敬する師匠の言動ならなおさらだ。“永遠のベストセラー”新約聖書がそうであるように、「弟子が師匠について書く」というのは、本の原点と言っても過言ではないのかもしれない。なにより古代ギリシャから、少女漫画の現場まで、師弟関係の話はいつだって面白いのです。

Illustration: Mizmaru Kawahara / Text: Joe Kowloon

弟子・プラトンが記した「ソクラテス」の本

ソクラテス イメージイラスト

アテネで最初の哲学者、ソクラテス。その活動は仲間内や街角で対話を重ねるスタイルであり、彼自身は本を残さなかった。ただし、彼の死後、多くの弟子たちがその言葉を作品にしていく。なかでもプラトンによる対話篇は有名だ。

『ソクラテスの弁明』は不敬神の罪で告発され、最終的に処刑されたソクラテスの法廷弁論を記したもの。といっても正確な裁判記録ではない。死を前にした弁論というシチュエーションでの、師の教えを凝縮しようとしたものとされる。

ソクラテスの有名な教え、「無知の知」も本書に登場する。私は「知らないこと」を「その通り知らないと思っている」だけほかの人よりも賢い、というやつだ。ただ、そこで終わらないのがソクラテス。
迫り来る「死」についても、私は冥府(あの世)のことも知らないのだから、死が必ずしも悪いことなのかどうかわからない、と言うのだ。

フィロソフィ(哲学)とは、「知を愛する」という意味。自らの死をもって哲学を全うしようとする姿を、弟子はしかと本に書きつけた。

弟子・松井今朝子が記した「武智鉄二」の本

武智鉄二 イメージイラスト

書くことは、受け継ぐことでもある。伝統芸能のよき理解者であり、一方で「ホンバン」のあるポルノ映画を撮り、物議を醸すような面妖な人でもあった演出家・武智鉄二。彼と過ごした濃密な時間について書いたのが、作家・松井今朝子の『師父の遺言』だ。

武智に“跡継ぎ”と見込まれ、演出助手を務める松井。師への思いは恋愛にも似るが、父の背中のようでもあり。特に晩年の姿を描く筆致は哀切を帯びていく。

伝統の世界では、教えられた通りに伝えることが第一だ。だから自分のことを伝えればいい、という師匠の言葉を、弟子はこの本で実行する。同時にそれは、直木賞作家となった著者の青春譚でもある。

弟子・笙野頼子が記した「藤枝静男」の本

藤枝静男 イメージイラスト

対照的に、芥川賞作家の笙野頼子は、彼女が師匠と呼ぶ私小説の大家・藤枝静男に、生前、一度しか会っていない。群像新人賞の選考会で笙野の作品を強く推すあまり最後は涙まで流したという藤枝。その受賞パーティで軽く立ち話をしたのが、最初で最後の邂逅だ。

翌年の受賞パーティで藤枝は、「どうして彼は来ていない。彼に短編を書かせなさい」と言っていたらしい。笙野についてのイメージは、中年男性かなにかにすり替わってしまっていた。
『会いに行って 静流藤娘紀行』は、もはや直接会うことの叶わない藤枝の小説を引用しながら、師匠の見たもの、さらに言えば、師匠の目そのものになろうとする試みだ。

笙野はそれを私小説ならぬ「師匠説」と呼ぶ。本を通してなら、師匠といつでも会えるのだ。

弟子・カスタネダが記した「ドン・ファン」の本

ドン・ファン イメージイラスト

文化人類学者カルロス・カスタネダが、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンと出会い、彼のもとで修行を積んだ日々を書いた『ドン・ファンの教え』。1968年に刊行されて以来、その後のシリーズとともに世界的ロングセラーとなり、長く読み継がれている。

ドン・ファンが開陳する、西洋的な知のあり方とはまったく異なるルールで構成された世界。そこでは植物の根や葉、キノコがもたらすサイケデリック体験が、知覚における重要な役割を果たす。

ドン・ファンは言う。どんなに知識を積み重ねても、人が知者であるのは一瞬にすぎないと。起きた出来事の詳細な記録をもとに、後半ではそれぞれの意味の人類学的な分析が試みられる。そうした客観性を捨て切れなかったがゆえに、カスタネダは弟子としての修行を断念することになる。

ただ、結果それは本となることで、私たちは呪術師の生きる稀有な現実を垣間見ることができるのだ。

弟子・笹生那実が記した「美内すずえ」の本

美内すずえ イメージイラスト

こちらも引退した漫画家だからこその距離感で描けた作品と言えるのが、笹生那実の『薔薇はシュラバで生まれる』。名作が生まれた70年代少女漫画の現場でのアシスタント経験を、生き生きとした漫画で描く。

次々と登場する憧れの先生や才能溢れる同期たち。中でも漫画を描くきっかけも与えてくれた、『ガラスの仮面』の美内すずえは、笹生にとって特別な存在だ。美内が体現する、厳しい漫画家の仕事を成し遂げるためのしなやかな心構え。

根底にある教えをあえて言葉にするなら、「好きで描いている」という瑞々しさの感覚を失わない、ということだろう。初めてアシスタントをした際のミスを告白し、死んで詫びるという笹生に、美内は「右腕置いていってね」と笑って返す。
つまり、私はあなたの右腕に助けられたのだと。弟子は、その優しさにまた感銘を受ける。

弟子・四方田犬彦が記した「由良君美」の本

由良君美 イメージイラスト

師匠を超えてこその恩返し、という考え方がある。ただ、同じ道を歩いている以上、誰でもそう単純に割り切れるものでもない。

四方田犬彦が英文学者・由良君美について書いた『先生とわたし』は、知を愛する師弟の幸福な関係が、やがて悲劇的な色合いを帯びていく過程をつぶさに描く。
「師とは脆いものである」という一節は、自戒であり、また同時に、ありふれた愛すべき人間の一人として、師と出会い直すためのキーワードでもある。

大切な教えとともに、濃厚な人間ドラマも味わうことができるのが、師匠本の醍醐味なのだ。