Watch

韓国映画の巨匠イ・チャンドンが語る、映画と小説と人生の話

43歳で小説家から映画監督に転身した、韓国を代表する巨匠イ・チャンドンにインタビューを実施。現在、4Kレストア版の全6作と、新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』(監督アラン・マザール)で編成された、特集上映『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』が公開中だ。小説家としての代表作を収録した小説集『鹿川は糞に塗れて』も刊行されたばかり。この機会に、イ・チャンドンの世界観を多角的に堪能したい。

photo: Katsumi Omori / text: Tomoko Ogawa

BRUTUS

イ・チャンドン監督の映像世界の礎となった小説集『鹿川は糞に塗れて』が、韓国での発表から30年以上を経て日本で刊行されましたが、あとがきでご自身の小説の至らなさに触れ、変化を求める気持ちが綴られていたのが印象的でした。それは、映画をつくっている今でも感じることなのでしょうか。

今回、韓国から原書を持ってきて、飛行機の中で読み返したんです。何せ古い本ですから、記憶を掘り起こさねばならなくて。おっしゃってくださったように、作家のあとがきとして、新しく変わりたいとか、自分の文章や小説に対するもどかしさのようなものが書かれていました。

発行当時、これを読んだ方の中には、ああ、だから私が小説家をやめて映画監督に転身するのか、と解釈された方も多かったようなんです。

B

確かに、転身宣言にも受け取れますね。

はい。でも決して、そのような意図はありませんでした。単純に、自分の文章の至らなさに少し絶望したり、臆病になったりしながら書いていて、そんな自分から変わりたい気持ちでした。それで、今は映画を撮っているわけですが、相変わらずそう感じてしまう。

でも、そういう気持ちがあるから、映画を数多くは撮れないんだと思う。また、小説というものは一人で書くものですよね。満足できなかったら書くことをやめてしまうかもしれませんが、映画の場合は一度始めたらやめるわけにはいかないですからね。

多くの人と一緒につくっているものなので。その点だけを考えると、映画の方が有利だなと思います。いずれにしても、自分自身を振り返ったときに、少し潔癖症なところがあるところは変わっていませんね。

『鹿川は糞に塗れて』書影
『鹿川は糞に塗れて』
朝鮮半島の南北分断や社会矛盾の犠牲になって生きる「ごく普通の人びと」を主人公にした表題作を含む5作品。映像が浮かび上がってくるようなイ・チャンドンの語りを堪能したい。2,860円/アストラハウス

B

今回、映画『イ・チャンドン アイロニーの芸術』でご自身の映画や人生について語っていますが、ドキュメンタリーという場で、映画について監督が説明することには前向きだったのでしょうか?

最初、ドキュメンタリーのお話をいただいたときは、かなり悩みました。正直、気が進まなくて。映画というのは、撮ったら宣伝しなければいけないですよね。もちろん、私の名に恥じないように映画をつくりますし、たぶん、私の名前を見て観に来てくださる方もいらっしゃるわけなので、自分が監督した映画のプロモーションの際には、前面に出てお話をすることもあります。それが、製作費を出資してくださった方への義務でもあるので。

しかしながら、私は監督自らが自分の意図について説明する必要はないと思いますし、映画を観ていただければそれだけでいいと考えているので、宣伝期間を終えたら、できる限りメディアに現れないようにしてきました。なので、映画の中に自分が入っていって、策を話すなんて好みじゃないと思ったし、仮に出たとしても、すごくぎこちないものになってしまう気がしたんですね。

でも、「ドキュメンタリーを観て監督の話を聞いたら、また映画に興味を持ってもらえるだろうし、やってみたらどうですか?」という周りからのアドバイスもありましたし、そして何よりも、演出を担当してくださったアラン・マザール監督が、「あなたの作品をもっと深く掘り下げて、観客の方々に見せたい」と言ってくださいましたので、彼の誠意に説得されたことになりますね。

『イ・チャンドン アイロニーの芸術』_メイン
『イ・チャンドン アイロニーの芸術』
フランスのドキュメンタリー監督アラン・マザールが脚本、監督を務め、イ・チャンドン本人も協力し、製作されたドキュメンタリー。これまで作品への言及をほとんどしてこなかったイ・チャンドンが監督作全6作品を振り返る。 2022フランス、韓国/監督、脚本:アラン・マザール/出演:イ・チャンドン、ムン・ソングン、ソル・ギョング他。
©MOVIE DA PRODUCTIONS & PINEHOUSE FILM CO., LTD., 2022

B

解説を聞いて、再び映画の世界に戻りたくなるようなドキュメンタリーでした。イ・チャンドン作品は、人生の苦しみとやるせなさを見せながら、生きるための現実的な希望を抱かせてくれますが、こうした作品を生み出し、観客に届けることで、苦しみは軽減されていくと思いますか?

その質問に答えるには、「人生の苦しみとは何か?」という問いから始まるような気がします。映画の中には、殺人事件に至るまで、さまざまな暴力や人生の苦しみがたくさん描かれていますが、それが本当に観ている人の苦しみであるかというと、それはちょっと違うんじゃないかなと。

観ている人々は、これは怖い事件であり、苦しい状況を描いた映画だということはわかっても、それが自分の人生とつながっていると感じることはあまりないかもしれない。こういうジャンルの中で必要な刺激だと捉えて、消費されてしまう場合も多いのではないでしょうか。でも、観客のみなさんも、個人差はあれ、何らかの現在進行形の苦しみを抱えていると思います。

もしくはまだ抱えてなくても、苦しみがどんどん近づいてきている人もいれば、まだ水面下に隠れている人もいるでしょう。いずれにせよ、私はみなさんの苦痛を完全に消し去ることもできないですし、癒やすこともできないとわかったうえで、映画をつくっているんです。

そして、それを観てくれた方々が、映画の中で、自分の人生と結びつくものを見つけ、向き合い、さまざまな問いかけをし、何か答えを見つけたり、癒やしたり癒やされたりすることを望んでいます。そして、映画というものはそれをすべきだと思うんですよね。

B

現在、『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』が日本で公開中ですが、この特集上映についてはどんな思い入れがありますか?

2022年の2〜3月にかけてリマスタリング作業をした全作品が、今回世界で初めて4Kで一般公開されるのはとても意味深いですね。

日本の観客のみなさんがそういった機会を提供してくださったことに感謝していますし、また作品を観ていただけることを楽しみにしています。私の撮った映画をまだ観たことがない若い世代の方々に劇場に来てもらえたら嬉しいです。

レトロスペクティブで上映される監督作6作品