色川武大『百』
必ず訪れる「終わり」と向き合う
小説家の「私」が、夫婦喧嘩を機にヒステリーを起こした高齢の父をなだめるべく、実家を訪れるところから展開する本作。文章は難解なところも多いですが、かねて家族とうまく関われないことにコンプレックスを抱えながらも、老いゆく父親を見捨て切れない主人公の葛藤がリアルに描かれます。
特に共感を覚えたのは、端々に垣間見える「私」の諦念めいたもの。父40代の頃の初子として生まれ、当時から老けこんでいた彼の背後に「死」を想像していた幼少期もしかり、父親を体力的に上回ったことを知り、衝突を避けるようになった思春期もしかり、悲しむでも喜ぶでもなく、必ず訪れる死という「終わり」を常に見据えている。そこになぜだかグッときました。
本作が発表されたのは1982年。100歳になると区役所からお祝いに100万円がもらえたとの言及もあり、当時は今以上に長寿が喜ばしいことだったと思うのですが、現代を生きる20代の僕からすると、長生きは特段憧れるものではありません。
でも人生の少し先をいく周囲の30代が、禁煙したり、筋トレを始めたりする様子を見ていると、年齢を経るごとに生への引力を感じるようになるものなのかなとも。そういえば20歳くらいの頃、70〜80年の寿命を持つリクガメを飼い始め、100歳までは死ねないという使命感を持っていた友人がいました。彼、元気かな。