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日本一予約の取れない居酒屋、京都〈食堂おがわ〉の話

京都・河原町。〈食堂おがわ〉。その名を耳にしたことがある人は大勢いるはずだ。だが、実態を知る人は少ない。予約が取りづらいのではない。取れないのだ。電話すら繋がらないって、どんな店や。針の穴ほどの隙間もないんかい。思わず、机をドンと叩きたくなった人やら地団駄踏んだ人やら多々いるに違いない。そんな店を何で取り上げるんだ。ごもっとも。しかしそれでも、日本にこんな素敵な居酒屋があることを伝えたいんである。

photo: Yoshiko Watanabe / text: Michiko Watanabe

日本一予約の取れない居酒屋

「んー、言いづらいんですけど、予約がずーっと埋まってて。はい、どうしようもなくて。んー、んー。昔から来てくださってるお客様優先な状況で……」

店主・小川真太郎さんが眉をハの字にして、申し訳なさそうに頭を垂れる。1日2回転。開店以来、ずっと通ってくれる客で、常に席が埋まってるなんて、店主冥利に尽きる話だ。だが、その一方で、一度は訪ねてみたいという熱烈希望者も山ほどいるわけで……。

変形コの字形、U字形といったらいいだろうか、カウンター13席。その真ん中が店主が躍動するステージだ。根っこ付きのセリをひと抱えほど、ザクザクッと切る。フグの身欠きをパンパンと叩く。ふわっふわのだし巻き卵に染めおろしをそっと添える。

かと思ったら、奥の火元で重そうな中華鍋をあおってチャーハンを仕上げる。次から次に旨そうなつまみが目の前で完成していく。このライブ感。客は皆、店主の一挙手一投足に夢中になる。あれ、そうでもなかった。おしゃべりに花が咲いて、まったく見ていないおばさまもいた。ま、いろいろか。

壁に黒板が2つ。うどてっぱい、赤貝とクレソンのバターやき、マナガツオ煮つけ、とりのからあげなどの料理アラカルト編と、生ビール、グラスシュワ、ボトルワイン、ファイアーひれ酒、超強たんさんレモンなどのドリンク編に分けて書かれている。

ドリンクも魅力的で、超強たんさんレモンを誰かが注文すると必ず、私も、私もと手が挙がる。そう、このカウンター、自然と客が一体化していく。ライブで会場全体がグルーヴする感じ。店主の人徳か、集団心理か。まず、この席に着けた喜びで興奮するが、飲み物が手元に来たら、皆、ひと安心、ちょっと落ち着く。

カウンターの中では、調理はどんどん進行中だ。ともかく、動きが速い。皆、息を呑んで店主の手元を見守る。店主は手を動かしつつ、口も巧みに動かして、全方位に気を使い、あちこちから上手に笑いを、話を引き出していく。客もどんどんリラックスして、どんどん楽しくなってくる。

おまかせの客の分をまとめて作るのも壮観だ。器を人数分並べて、目の前で次々料理が生まれ、盛り付けられていくのは痛快だ。カウンターの醍醐味である。

居酒屋より居心地よく、割烹よりお手頃価格で

小川さんは福岡生まれ。15の春じゃなくて16歳で家を飛び出し、友達の父が経営する居酒屋で、住み込みでバイトを始める。その店の常連から、「料理を勉強したいなら、若いうちがいい。和食ならば京都がいい」と、紹介されたのが京都の仕出し屋〈井筒屋〉だった。ここで6~7年、みっちりと京料理の基礎を仕込んでもらう。

その後、イタリア料理店〈リストランテ タントタント〉(現在は閉店)へ。しかし、和食への思い断ちがたく、自分はやはりそれだなと自覚し、もう一度和食店〈先斗町 余志屋〉へ。その店は、お造りや炊き込みご飯もあれば、一口かつやテール煮込みもあった。ここで初めて、カウンターのライブ感や接客、ジャンルにとらわれない料理の面白さを知る。

さらに、違った空気感の和食を学びたくて本格的な割烹へ。しかし、思わぬ出来事でやめざるを得なくなり、1年のモラトリアム期間を経て、〈祗園さゝ木〉へ。修業の仕上げの2年間を過ごす。「ぬくぬくとした家を出たかった」16歳のときから数えて、すでに16年近くが経っていた。

2009年、独立。店名に「食堂」と冠したのはちょうど『深夜食堂』や『食堂かたつむり』が人気で、耳慣れたワードだったこともあるが、「クラシックな京料理の仕事を、食堂のように間口広く、気楽に親しんでもらえたら」という思いからだった。

想定客単価を、飲んで食べて1万円前後に設定。高すぎず、安すぎずの“ミドルプライス”をよしとした。高価な食材を多用するのではなく、廉価でも上質の食材を選び抜き、手をかけて、言ってみれば“腕”でおいしさを引き上げる。〈食堂おがわ〉の料理には、ラフなように見えて、京料理の技術の粋が詰まっているのだ。

馴染みの料理でもどこか違う。スペシャリテのふるふる揺れる、だしまき。卵がギリギリ固まるまで、だしを含ませる。卵焼きのおいしさはいろいろあるが、だしまきならば、ふわっふわで中はとろとろをおいしいと感じる。ならば、それをどう作り出すか。そこが腕の見せどころだ。

そして、日々より良く進化を続けている。なにげなく作っているように見える一品一品が考え尽くされて、ひとひねりが効いているのだ。

次々と料理が出せるよう、「仕込みは徹底してやっています」。カウンターの内側には、コックピットのように仕込んだ材料がこまごまと隙間なく詰まっているという。あしらいなども、分類されて密閉容器に収めてある。そしてもちろん、何がどこにあるのかしっかり掌握している。準備に怠りなくば、スムーズに仕事が運ぶ。

「最近は、アラカルトでばらばらに注文するのが申し訳ないと思われるようになっていて」、誰かがおまかせにすると全員揃ってそうなってしまうことが多いらしい。食堂と名づけたのは、単品でバンバン注文してほしいからだったのに、店主の思いとはかけ離れてしまった。事前におまかせか単品かは聞くそうだが、近年おまかせのみ、という料理店が多いこともあってか、だんだんと皆の嗜好がそうなっているのかもしれない。

「僕は、おまかせしかできない料理人にはなりたくないんです。だからその“圧”に負けずに、気軽にお好みを注文してほしいと思っています」。コースもアラカルトも、同時にさばいてこその食堂なのだ。

なるほどね……。なぁんて言っても、そんな話、私ら地団駄組には関係ないですよね。どうせ、予約が取れないんですから。常連ですら予約が難しいと聞きましたよ。何とかならないんですか。と、ぼやくあなたに、店主から耳よりの情報があるみたいですよ。

そんな超人気店が、ついに予約不要の新店をオープン

〈食堂みやざき〉〈酒処 てらやま〉など、〈おがわ〉で修業し、DNAを受け継ぐ店がこの何年かで次々と開店したが、どこも瞬く間に予約至難に。単品主体で始めたが、コース一本に転じた店もある。そんな中、小川さんが満を持して2024年5月にオープンしたのが〈オテル・ドゥ・オガワ〉。

本来やりたかった単品のみ、原点回帰の店にするという。しかも、ここが大事、当日まで予約はとらない!そう、いよいよ新規勢にもチャンス到来だ。場所は〈食堂おがわ〉から徒歩30歩ほど、離れのような距離感。20歳未満は入れない……その、オトナなホテルの1階だ。いろんな飲食店が手を挙げたが決まらなかった物件を、オーナーからの名指しで、ズバリ引き当てた。

どこかで聞いたような店名だが、新規客も歓迎。カウンター中心で外に立ち飲み席も作る予定と、これは楽しみ。みなさーん、まずはここから始めよう。これがもしかしたら〈食堂おがわ〉へと続く一歩かもしれない。

新規でも古参でも、やっぱり酒場はみんなのもの。そうこなくちゃ、というものだ。

京都〈食堂おがわ〉店内
繁盛店ならではの強いオーラ。使い込んだまな板、食器棚の骨董など、もう名居酒屋の貫禄あり。客の心を掴んで離さない、小川さん。