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25歳で夭逝した画家・中園孔二を見つめる。人間と芸術の「わからなさ」に迫る、村岡俊也のルポルタージュ

地元、鎌倉で感じた不思議な繋がりの連鎖……。ライター村岡俊也が画家・中園孔二の評伝を書くことになった経緯を聞いた。

photo: Satoko Imazu / text: Keiko Kamijo

絵画を描く人たちは往々にして「言葉にするなんて野暮だ」と言う。だから言葉の手前にある何かをキャンバスに託すのだろう。

今回『穏やかなゴースト』を上梓したライターの村岡俊也は、芸術家たちが野暮だという言葉を駆使して、絵画や描く人、それを取り巻く人々を記述する。加えて彼は、鎌倉に長く住み、サーフィンや釣りを嗜むアウトドア派でもあり美術の専門家ではない。彼は、どうして画家・中園孔二の評伝を書くに至ったのか。不思議としか言いようがない繋がりの連鎖があった。

最初に村岡が中園の絵に出会ったのは2018年。信頼を寄せる人物が、美術館で開催されていた中園の個展をインスタグラムにアップ。投稿の3日後に村岡は美術館を訪れた。心に残ったのは「わからなさ」という感触だった。

「わからないなと思った絵をわかりたいと思ったと同時に、一見すると怖いような、得体の知れないものを描く人ってどんな人なんだろうと単純な興味が湧いてきました」と村岡は第一印象を語る。

さらに友人のイラストレーター横山寛多から、中園は横山が教えていた美大予備校の生徒であり、家も近所だったことを聞かされた。そして、中園の友人たちから話を聞いて一冊の冊子にまとめる手伝いを依頼された。地元・鎌倉で得た不思議な縁に、村岡は即座に「やろう」と返答したという。

感覚を刺激する絵と文章

画家・中園孔二は1989年生まれ。2015年に海の事故で亡くなっている。藝大の卒業制作でギャラリストの小山登美夫に見出され、東京都現代美術館にも収蔵され美術界でも注目されていた。

しかし村岡は、そうした美術業界での評価うんぬんよりも、中園孔二という一人の人間そのものに迫りたい、そう思った。村岡は言う。

「まずはご両親にお会いして許可をいただき、誰に会うべきかを紹介してもらう。そして、取材をした人が次の人を紹介してくれる、その連続でだんだん中園くんの人脈がわかっていきました。さらに、本人が遺したノートのメモやスケッチ、絵などの資料が膨大にある。それらを突き合わせながら、書かれている人が誰なのか、何なのかを照らし合わせる。だから、一人の人に何度も会って話を聞く必要があった。時間を要する取材でしたが、同時に幸福な時間でもありました」

画家の評伝ではありつつも、推理小説のようだなと思いながら読めたのは、村岡が一つ一つ丁寧に取材を重ね中園の像に迫っていく様子が、事件の真相に迫る刑事や探偵のように感じられたからかもしれない。

本の構成は序章、中園の評価をめぐる第一章を経て、順に年代を追う編年体で書かれる。インタビューは家族や友人、恋人など親密な関係の人に始まり、美術関係者、アルバイト先の人、中園とかけがえのない時を過ごした同級生や、40歳以上年が離れた文通相手にまで及んだ。中園はたくさんの友人と群れて行動するタイプではない。目の前にいる一人一人と真剣に対話し、同じ時間を過ごすことを大切にした。

「取材をしていた頃はまだ亡くなって7年くらいなので、みんなの記憶が生々しかったんですよね。逆に言うと、それが10年、15年経つと過去になってしまう。まだ心の中にそれぞれの中園くんが生きているという感覚で話が聞けたのはまさに奇跡的なタイミング。それは中園くんの天の采配なのかなと。また、彼といるといいことが起きるという話をよく聞いていたのだけど、僕も取材していく中でそういう報酬がもらえた瞬間がたくさんあった」

取材ではあったのだが、取材ではないような、不在の人を囲んで一緒に時間を共有する、不思議な感覚を重ねていったという。

また、身体感覚も中園の絵と村岡の文章を結びつける。体育教師の息子であり、バスケットボール選手を目指した過去がある中園は身体能力が高く、夜の海へ入ったり、森に分け入ったり、山で夜を明かしたりという危険な行為を好んだ。村岡は自身も生まれ育った鎌倉の町や、中園が住んだ土地を彼の視点で歩き文章にする。中園の絵についての記述もそう、文章から身体感覚が追体験できる。

絵を言葉にするのはやはり野暮かもしれないが、本一冊を読む時間のかかる工程を経て、初めて見える景色があるような気がした。

村岡俊也