舞台の上に立つときも裏方でも
目指す場所はどちらも同じ
――マヒトさんは、小泉さんから見てどんな映画監督でしたか。
小泉今日子
監督として現場ではみんなを自分の世界に招き入れていて、こう、マヒトくんの腕が長ーくなってみんなを抱きしめている感じでしたね。独裁的な権力者じゃない、良い王様でしたよ。
マヒトゥ・ザ・ピーポー
映画において、監督って本当にいろいろな決定権を持っていますよね。映画界でもいろいろな問題が明るみになっているけれど、構造自体がトラブルを引き起こしやすい性質を持っているんだなとは思ったんです。
小泉
権力性をハラスメント的な悪い方法で使ってしまう人も残念ながらいるけれども、そうじゃなくて、例え口が悪くってもちゃんと愛があってスタッフにも慕われるいい監督もいるんだけどね。
良い王様がいる平和な国にいたらみんな幸せになれるじゃん、そんな感じだと思う。私はプロデューサーの立場でも仕事をするけれど、みんなの気持ちに敏感でいたい。
最後に良いものを残すためには、時間通りに進めるよりも回り道が必要なこともあるし、それをちゃんと判断できるプロデューサーでありたいし、俳優として作品に入るときも同じ気持ち。その時々の役割で、今日できることを全うできたら幸せ。
マヒト
自分も小泉さんと同じで、どちらの役割でも目指したいところは一緒。普通に生きているだけでも、みんな戦っているからね。制作側も観客側も、良い気持ちになってもらいたい。
それまでのアクセスの方法が、歌だったり文章だったり映画だったりして、その寄り道を楽しんでいるところがある。『i ai』は脚本を書いてから上映までに3年くらいかかってるんだけど、その3年の間に自分も時代も変わっていて、改めて映画から語りかけられることがある。
自分が書いたセリフももはや自分のものでもないし、役者を通して改めて問いかけられるというのは面白い経験だった。ライブは瞬間的にみんなで共有できるけれど、同時に抜けていくものでもあって、映画ともまた違う性質のものだよね。自分自身が、これまで10代、20代で触れた作品からいろいろなものを受け取って、 ここに立つ人になっていった。自分が作品から受け取った喜びは、一生忘れない。自分が作品に携わるときも、その喜びをみんなで循環していきたい。
小泉
うん、すごいその気持ちわかる。
誰か一人への想いが、
大勢の人の心を動かす可能性
マヒト
世の中に何かを放とうとしたとき、一番速く届くのはSNSだよね。映画ってどうやったって届くまでに時間がかかるんだから、プリミティブな題材にしないとハマらないだろうなというのは、初めから意識していました。
小泉
時間って進んだら戻らないって思われてるかもしれないけれど、私たちも、50年前の映画を見て感動したりするしね。私、80年代のアイドルだったじゃない?それが今、若い人たちが過去の動画とか発掘して、「キョンキョン可愛い」とか言って出待ちとかしてくれてたりするの。
「何やってるの、おばちゃんの出待ちなんかして(笑)」とか言うんだけど、時を超えておもしろがってくれているのを見ていると、時間って縦じゃなくて横にも広がっているのかなって思うんだよね。
――自分が関わる作品の影響に関しては、どう考えていらっしゃいますか?作品を通してメッセージを伝える使命感はあるのでしょうか。
マヒト
使命感という言葉には当てはまらないけれど、表現を追求していくうえで社会や世界との関わりに対して自覚的になっていくのは、俺はすごく健全なことだと思ってる。
政治的に右か左かという話をしたいわけじゃなくて、自分の世界を深めていくのには、どうしたって外界と関わりや外界からの影響があるという話。ただ、どこかのタイミングから表現と社会との接点が途切れているような印象もあって……。
小泉
私たちの世代がいけなかったんじゃないかっていう反省があるの。私は60年代生まれで、生まれたときに日本は高度成長期真っ只中。戦争が終わって20年後に生まれて、その20年後にバブルを経験して、このままずっとこの船に乗っていれば豊かになるんだとしか思っていなかった。
私たちの世代が、政治みたいなことは自分が関わるようなものじゃなくて、任せていればいいんだとしてきてしまったのがいけなかったのかもって、大人になって反省したのよね。今の若い人たちに「こんな社会を見せちゃってごめんね」って今思っているから、みんなが考えるきっかけになることを発信したい。
私が間違っていたら「間違ってる」って言ってもらって全然大丈夫なんだけど、「これ、どう思う?」って感覚なんです。
でも私が何か言うと、そこだけ切り取られてちょっと話が大きくなっちゃうんだけどね。もう、それも受け止めるって覚悟してる。私はいろんな大人がいるということを若い人にも見てもらいたいし、同世代の人にも何かを感じてほしいと思っているから。
――どのタイミングで、今社会で起きていることとご自身の反省が繋がったんですか。
小泉
2015年に若者たちが声をあげていたときに、「こんな社会にして、ごめんごめんごめん」って思っていたんだよね。だからSNSで彼らの活動についてのポストに「いいね」をしたんだけれど、それだけで記者が家の前に来て「なぜ、“いいね”したんですか」って聞くのよ。なんで“いいね”をするのかって、いいと思ったからじゃん?ってびっくりしたよね(笑)。
でも、そのときはまだ事務所に所属していたので、組織の中にいたらそこのルールを守らなきゃいけないから、「これはもう独立するしかないかも」と思って、もう本当にゆっくり時間をかけてちゃんと独立させてもらいました。
――その後も、政治的な声をあげる人が多く出てきましたよね。
小泉
私たちの世代で、彼らを見て気持ちが変わった人はいっぱいいると思う。あのときのことで彼らはもしかしたら敗北感があったかもしれないけれど、彼らの運動で繋がったものはたくさんあるんじゃないかな。今も感謝してます、私。
――一方で当時、「音楽に政治を持ち込むな」という声も話題になりましたね。
マヒト
どうやったら、音楽と政治を切り離せるって言うんだ。暮らすことや生きることと、政治というのは繋がっていて、ジャンルとして切り分けられるものですらないからね。
政治の影響を受けない人なんかいないわけで、部外者なんていない。「あそこのパンおいしいよね」というような話の延長で、政治が語られて良いと思う。
小泉
政治の話ですらないところに問題を起こしているのは、政治をやっている人だったりしてね。「悪いことはしちゃいけない」という姿勢を、為政者に見せてもらわないといけないのに、どうしたらいいんですかねって感じよね。
戦争はしたくないし、見たくもないし、やっぱりみんなが幸せに生きられる社会をちゃんと目指そうよ、と思います。
マヒト
この『i ai』は政治的なビジョンが明確な軸になってるわけじゃないけれど、自分にとっては、「死」というものを、ただの1という数字が消えただけじゃなくて、ちゃんとそこに血が流れてるんだよ、と示したかった。
戦争の報道を見ていると死亡者の数字が積み重なっていくけれど、そういう数字に血を通わせることも、表現の一つの役割だと考えてる。
小泉
たった一人のことを想って作った歌が、大勢の人に愛されたりするわけじゃん。台の上に立って、「皆さん、こちらに進みましょう」というのは私たちがすることじゃないと思うけれど、誰かを想う気持ちをちゃんと作品にして、受け取ったみんなが感じたことを共有し合えるようにできる立場ではある。
私たちみたいに届けやすい立場にいる人たちが、そういう思いをいっぱい投げられたらいいのになって思いますね。作品のいろんなところにちりばめてね。
マヒト
俺はもう、蛇口の閉め方がわからないんですよ(笑)。暮らしとか政治と、表現することがもう全部侵食し合っていて、デザインしきれない。蛇口が全開放しているみたいな感じ。作品は、受け取った人たちの体の中に一回入って、血に溶ける。
忘れていくこともあるけれど、一回見たものは消えないから、何年か経った後のふとしたタイミングで接続したりすると思う。作品について直接思い出さなくても、人生のどこかにエフェクトするみたいなことも期待できますよね。