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鯉に捨てるところなし。池波正太郎も愛した、三重の名店〈大黒屋〉の鯉料理

癖がある、泥臭い、小骨が多くて食べにくい……そんなイメージから敬遠気味の“鯉(こい)初心者”も、「“鯉のあらい”も“鯉こく”も経験済み」という通の御仁も。伊勢国の門前町で創業280年(!)を超える名店には、あの文豪も驚く質と幅を持った鯉料理が受け継がれていた。

初出:BRUTUS No.867『おいしい魚が食べたくて。』(2018年4月2日発売)

photo: Yoichi Nagano / text: Kosuke Ide

縁起物でもある鯉は、ウロコから骨まで丸ごとおいしくいただけます

「鯉の皮が、これほど脂濃(あぶらっこ)いものとは知らなかった。うまい」

さすがは食通・池波正太郎センセイである。「あぶらっこい」は今では「しつこい、くどい」の含意でもってネガティブな意味でしか使われないが、脂が濃い=脂がのっているの意であって、これが魚の場合には、こよない賛辞になる。著書『食卓の情景』収録のエッセイ「多度の鯉料理」で池波氏が訪れ、その感動を記したのは、三重県桑名・多度大社の門前町に鎮座する鯉料理専門店〈大黒屋〉。

江戸中期の創業で、約180年前より木曽三川にある船着き場で水揚げされる川魚を東海道の旅人に提供し始めたという起源を持つ店は、優美な日本庭園から建物・調度品まで老舗の風格も十分。「ナントカ映え」などと評せばセンセイに叱られるかもしれないが。

「池波先生は先代の頃のお客様で、お忍びでいらしていたようですね」と話すのは13代目店主・蒔田誠治さん。多度山の清冽な伏流水と鉄分豊富な湧き水に満たされた池に放たれ、ストレスなく悠々と泳ぐ鯉たちを、客の顔を見てから取り上げる。

「清水の中で約10日間、餌を食べないことで鯉の体内が綺麗になり、臭みがなくなり身が引き締まる。また鯉は鮮度の落ちるのが速いですから、活け締めに限るんです」

三重〈大黒屋〉の生け簀
魚をさばいて調理する直前に生け簀(す)の池から鯉を取り出す。「お客様をお待たせしてしまうのが申し訳ないですが、これもすべておいしさのため」と蒔田さん。

臭みが一切ないからこそ、ワサビ醤油で食す「あらい」

蒔田さんの見事な手際により1匹の鯉があっという間に頭、皮、うきぶくろ、頬肉、あばら肉、胆嚢などにさばかれ、取り分けられていく。この店では、「鯉料理の定番」として知られるツートップ——冷水で脂肪分を洗い流した身をいただく「あらい」&鯉を味噌汁で煮る「鯉こく」はもちろん、あらゆる部分がさまざまに形を変えて供される。すり身は団子の揚げ物に、うきぶくろやウロコは湯引きして前菜として。

あばら肉は照り焼きや唐揚げに、頬は時雨煮に。頭は煮付けのだしになる。まさしく鯉に捨てるところなし。「私もずいぶん、鯉を食べてきたが、これほどに多彩な料理ができようとはおもってもいなかった。おそらく、この〔大黒屋〕にしてはじめて出来得る〔芸〕なのではあるまいか」との池波氏の感嘆に違わぬ、洗練の「鯉尽くし」が味わえる。

鯉料理と聞いて淡水魚特有の泥臭さを想像し敬遠する向きも、そんな思い込みは大黒屋の臭みが一切なくぷりぷりと締まった鯉の前に崩壊するだろう。通常、味の強い酢味噌で食べる「あらい」をワサビ醤油で供するのも、その繊細な風味に自信があればこそ。

かの池波氏も店を後にした翌日、「また〔大黒屋〕に行きたくなった」とたまらず2日連続で通った顛末を記しているほど。鯉にコイした稀代の食通のレコメンド、その信憑性は「ナントカ映え」をはるかに超えるのだ。

三重〈大黒屋〉蒔田誠治と母の須美子
蒔田誠治さんと母の須美子さん。