元コーヒー店店主と写真家を魅了する、陶芸家の肖像。
陶芸家のキム・ホノの世界に魅せられた2人が、個々に本を制作中だという。焙煎家・大坊勝次さんは、過去から現在までにフォーカスした作品集。撮影を手がけた写真家・下屋敷和文さんは、自身も1年にわたり作家の日々を記録し、初となる写真集を作っている。キム・ホノという作家のA面とB面を切り取る両名による、コーヒーブレイク対談。
下屋敷和文
大坊さんはキムさんとは長いんですよね。
大坊勝次
30年を越すくらいかなあ。店を開けて5年ほど経った時、焼き物ギャラリー併設の2店舗目を作るアイデアがあって。焼き物に詳しいお客さんに相談して、紹介してもらったのがキムさんでした。
下屋敷
ほかの作家もご覧に?
大坊
はい。なんでも見てやろうと、昼休みにあたふたと展示に出かけては、帰ってコーヒーを淹れて。キムさんの個展にも行きましたよ。やっぱり特殊でしたね。これは何だろう、なんちゅうものを作るんだろうって。
下屋敷
どの作品を飾ったんですか。
大坊
花器が多かったですね。僕の店は古いタイプのコーヒー屋でしょう。でも、古くさい店にキムさんの作品があるのがいいんですよ。花を入れずにむき出しで置いてもオブジェとして目を引くし、ミスマッチが新しい何かを作り出す。合っていないのに調和するってどういうことだろうと一生懸命勉強し始めたんです。
下屋敷
僕は3年前の『ポパイ』の取材で初めてキムさんの工房を訪れました。膨大な作品の数々に、これを一人で?と衝撃を受けたんです。
大坊
変なものがたくさんあったでしょう。どんなことを感じたの?
下屋敷
この人を理解したいと思いました。こういう作品を作り続ける人の日常ってどんなものだろうと。それで、「キムさんの生きざまを僕の作品にさせてください」と手紙を書いたんです。キムさんは快く「長く撮ったら?」とおっしゃってくれて、しばらく密着することに。2020年1月から工房に通っています。
偶然が重なった2冊。
大坊
撮るうちに下屋敷さんとキムさんの関係は馴染んだと思うけど、作品とはどう関わっていった?
下屋敷
初めに、キムさんの作品は撮らないと決めたんです。作品の影響を受けるのが怖かったし、新作が載ると意味が出てしまう気もして。それより、キム・ホノという人物が2020年にこういう生活をしていた、という記録にした方が写真集として成立するかなと。
そのスタンスでいたら、思いがけず大坊さんのもとで作品を撮ることになって。
大坊
急なお願いで、下屋敷さんには本当に申し訳なかったです。でもそれには経緯があって。僕が店を閉めた時、キムさんが『大坊珈琲の時間』という本を作ってくれたんですね。次は僕の番だ、と漠然と思っていたんですが、昨年『キム ホノ ジャンボリー』の開催を知り、その時が来たと。
編集の仕事をしている奥様の春実さんの協力も得ましたが、カメラマンの調整がつかない。その頃には下屋敷さんの存在を知っていたから、春実さんに「彼に頼んでもいいのですか?」と聞いたんです。
下屋敷
『キム ホノ ジャンボリー』は工房に埋もれている作品を発掘して、お世話になっているギャラリーの方々に卸す試みで、大勢の方がいらしてましたね。当日、大坊さんと組むことになって驚きました。
大坊
「あなたが撮ってくれるそうですね?」と言いましたよね(笑)。
下屋敷
はい(笑)。『ジャンボリー』の撮影だけだと思ってました。
大坊
カメラマンを1人に絞る必要はない、というのが僕の一貫した考えでした。キムさんの作品は、その変さ加減がいいわけですから、誰がチョイスしてもいいし、誰が撮ってもいいと思っていて。でも、次第に下屋敷さんに撮ってもらう流れに。
下屋敷
「作品を撮らない」とルールを課したものの、目の前には作品がある。もどかしさはありました。だから別プロジェクトで作品が撮れて素直に嬉しかった。撮影技師に徹した結果、自分のものとは思えない写真が撮れたことも新鮮でした。俯瞰で撮ると「低い位置から撮って」と言われて、なるほど!と。
大坊
僕にはずっと、キム・ホノの作品をゲテモノとして片づけずに、ちゃんと見てほしい!という思いがありました。美しくひんまがった姿を、ひんまがった状態で見てほしかった。そのために光をこう当てて、この角度で撮ってほしい、と色々お願いしたと思います。
でも、同じ撮り方ばかりでは硬くなるし、自分の「こう撮りたい」で覆ってしまわない方がいい。ですから作品集には下屋敷さんの考えで撮った写真も収まっています。各地のギャラリーが所蔵している作品を撮るために、2020年の11月から南は宮古島、北は北海道まで、一緒に回りましたよね。
下屋敷
楽しかったです。仕事のようで仕事じゃない関係が面白くて、2人で羽田空港のゲート前に並びながら、お互い笑っちゃって(笑)。なんだろう、同じゴールを目指す仲間というか、友達というか……。
大坊
キムさんと私の関係も、近いと思いますよ。前にキムさんが、「周りの大人は、“君の考えは世の中では通用しない”としか言わなかった」と言っていたんですが、僕にとって彼は若者でもなんでもなかった。美が生まれる状況とか、コーヒーの話とか、お互いに言いたいことを何でも言い合える関係だったんです。
止まらず、作り続ける。
下屋敷
キムさんは大坊さんと話すためにはたくさんのことを学ばないといけないと思った、とおっしゃっていました。昨年、山梨県の富士吉田にあるギャラリー〈ナノリウム〉に茶小屋を作った時も、大坊さんの姿をイメージしたと思います。
大坊
「完成したらコーヒーを作ってね」と頼まれました。出来上がった茶小屋を訪れた時、ああ、キムさんらしいなあと。支柱の黄緑、外壁のトタン、そして屋内の土壁。窓はすりガラスで、一部だけ透き通っているのがいい。
コーヒーを淹れる手元の明かり以外は自然光で、日が暮れるとともに薄暗くなっていく。〈ナノリウム〉のご主人が「無音でいきましょう」とおっしゃって、音楽もなし。私の店も同じようにやっていたわけですから、もう、オッケーでした。
下屋敷
空間も作るし、絵も描くし、漆だってやる。一緒にいるうち、芸術家なんだと思うようになりました。
大坊
キムさんって、巨匠になることを拒否してるんですよね。未経験の技術をどんどん用いる。“掻き落とし”(先の尖った道具で表面に粗さを施す左官仕上げの一つ)にしても、極めるというより、純粋に新しい技法に挑戦する感じ。作家としては稀な発想だと思います。
普通は焼き方にしろ、書き方にしろ、熟練によって作品の価値が上がるわけですから。でも、キムさんは挑み続けることで「めちゃくちゃ面白いし、いくらでも続けられる」と言うんです。
下屋敷
誰もが作家の代表作を断定したがるけど、キムさんは常に代表作を作り続けている。僕もそういう人になりたくて、自分の写真集でキムさんを記録しようと思ったんです。
大坊
例えば「あの本を読んだよ」なんて言わなくたって、頭の中に入れて店に立てば、風通しが良くなることがあるんです。つまり“自分がどういう人間になっているか”がいちばん大切で、それがコーヒーなり、作品なりに反映される。
キムさんもよく同じようなことを言うんです。だから「作品を見て人生観が変わった」という人や、下屋敷さんのように肖像写真を撮る人が現れる。私はさもありなんと思うんです。そういうことではキムさんと私は、初めて会った時から共鳴し合っていたんじゃないかと思うんですよね。