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神奈川県

暮らしを味わい、感じ、楽しむための道具作り。

さまざまなショップが入居するユニークなマンション。その一室に、北海道では珍しい箒職人の工房がある。吉田慎司さんは中津箒の職人。明治時代から神奈川県愛川町中津で作られ、一時途絶えていた箒を中津箒の名で復活させた〈まちづくり山上〉の社員として、2017年札幌に移住。吉田さんが作るのは、土地に根ざした道具としての箒だ。箒草を束ねる編み込み部分には、昔ながらの藍のほか、道内で手に入る植物で染めた糸も使用。

近代北海道の歴史はここから始まった。

北海道大学、通称「北大」の前身、札幌農学校が開校したのは1876(明治9)年のこと。旧東京大学よりも1年早い開校だった。箱館戦争が終結したのが1869(明治2)年だから、明治新政府がいかに重視し、その設置を急いだのかがわかる。当時、蝦夷地改め北海道にはロシア南下の脅威があった。ぼーっとしている余裕はない。北海道開拓は新政府の重要課題の一つだった。
 
それにしても、新しい国づくりの根幹に農業(酪農

平山夢明

ヅカ石ヘド彦。誤記ではない。ヅカ石は、「元漫才師で今は主にグルメリポーターをやっているオーバーオールのデブ」。小説『反吐が出るよなお前だけれど……』では、「ラーメン屋〈中華コリーダ〉」を、彼がディレクターと取材のための試食に訪れる。もとより店員夫婦もただものではない。「コイカタオオメノブタマシ?」、そして、「どぶどろ? どぶどろのぶろどろ?」「どぶどろましましのどろどろましましぶろぶろ?」と、どこ

松㟢煎餅 モトスミ・ブレーメン通り店

 文化元年(1804年)創業、210年余の歴史を紡ぐ〈松㟢煎餅〉。江戸時代から作り続ける瓦煎餅は、東京の代表銘菓の一つだ。そんな〈松㟢煎餅〉が昨年の松陰神社前店に続き、今年8月、2店舗目となる直営カフェを元住吉にオープンした。本店を構える銀座とは異なり、商店街に出店するのはなぜなのか?
 店を手がける8代目・松㟢宗平さんが目指すのは、自社の煎餅とカフェが街をつなぐ、いわば地元密着型のコンセプトスト

安定の極み「レモン味」の中でも、飛び抜けた一品。|石井正則

 もともと喫茶店が好きで、メモを取りながら日本全国の喫茶店に足を運んでいます。9月20日現在で、2,277軒。最初は店名と住所くらいだったのですが、1,500軒を超えたくらいから、ちゃんと特徴を残しておかないとわからなくなってきました。〈エノモト〉に初めて来た時は、店名だけのメモだった時代なんですが、僕のノートには「生レモンケーキおいしかった!」と書いてあったんです。さらに、当時のメールを見返して

やっぱりモンブランのクリームは黄色じゃなきゃ。|北原雅彦

 甘いものが大好きな僕と〈アーモンド洋菓子店〉の間には、別れと再会のドラマがあるんです。学生時代、バンド仲間が三軒茶屋のアパートに住んでいて、よく遊びに行っていました。近所に〈アーモンド洋菓子店〉があったので、よくソフトクリームやもともと大好きだったモンブランを買っていて。ところが、1991年のフランス公演でパリへ行った時のこと。せっかくパリに来たからと、スイーツの名店を巡り、有名な〈アンジェリー

横須賀凧

「横須賀凧」というと神奈川県をイメージしてしまいますが、こちらは静岡県掛川市にある横須賀に伝わる凧です。その歴史は古く、戦国時代に、武田勝頼と徳川家康が戦った高天神城の戦いで、敵の陣地の測量や、通信手段として凧が利用されたことから、この地に根づいたとされています。その後、江戸時代になると、遠江横須賀藩の城主・西尾忠尚公の加増を祝い、家臣たちが凧を揚げ、祝い凧として定着していきます。庶民の間でも凧揚

身だしなみの道具。|服部哲弘

 いつでもできるだけ自然なものを使いたいなって思っています。服もそうだし、生地もそう。年齢を重ねるとだんだんと手触り、肌触りが心地いい、ナチュラルなものを使いたくなってくるんです。僕は1日2回お風呂に入るのでタオルも2枚使うのですが、一度使ったら洗濯派なので、バスタオルよりもフェイスタオルがちょうどいい。〈無印〉のタオルはインド産のオーガニックコットンを使っていて、パイルが立っていてふんわり。海綿

先入観や固定概念を覆す美術作品とは。|小瀬村真美

 小瀬村真美が表現する世界のなかには、一見絵画のように見える写真や、写真のように見える映像作品など、先入観を持っていると真実を見誤ってしまうような作品が並ぶ。「日常生活では、わかりやすいということが大切にされますが、日常から離れたアートの世界では、疑問を持つことが大切。それぞれの経験や知識を使ったり、感じたりしたことで、その人なりの答えを出す。それが面白さだと思っています」。答えが一つではないから