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鎌倉

親愛なるセルジオ・メンデスに、東京でモーニングコーヒーを!

コンピレーションの選曲や執筆など、ブラジル音楽に造詣の深い〈カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ〉の堀内隆志さん。長年憧れだったというセルジオ・メンデス御大が日本滞在中ということで念願の初対面。熱い思いを抱きながら、渾身のコーヒーを淹れることに。用意したのはブラジル・フルッタメルカドンというフルーティなコーヒー。目の前で豆を挽き、ドリップをしてインタビューが始まった。

ヴィンテージの器と水仙。

パックリ開いた白い魚の口から、ニョッキリ生える黄色い「ダッチマスター」。どこかユーモラスでキュートなその姿は、「生け花」でも「フラワーアレンジメント」でもなく、「好きな花を選んで、好きな器に入れる。それでおしまい」と笑う岡尾さんらしさに溢れている。花器として使うには少し難しそうな、こんな個性的な器に花を飾っても、そこに“気負い”は一切ない。
「柄のある器に飾る方が好き。たまたまそこにあった、という

曜変天目、はじめの一歩。 Q&Aで学ぶ基礎知識。

A:宋の建窯で焼かれた、斑文と光彩を持つ黒釉茶碗。

歴史の中で「曜変」の名を与えられてきた茶碗は3つだけではない。なるほど、見た目がキラキラしたものもあれば、錚々たる美術館の所蔵品もある。それらと、国宝の3碗は何が違うのか。「厳密に定義するなら、国宝に指定された曜変天目3碗に共通する条件すべてが揃わないと、曜変天目と言えない」と小林さん。「①宋時代の建窯(現在の福建省南平市建陽区水吉鎮)で作られ

徳川ミュージアム館長が語る 新しい関係を育てた、ファンとミュージアム。

関東大震災の時に被災した刀剣は、それまで簡素な木の箱に納めて、収蔵庫に保管していました。被災刀剣でも、二代光圀公所用の《太刀 銘 國宗》のように、水戸黄門のお話で名前が知られた刀以外、ほとんど展示は行っていません。《刀 燭台切光忠》(以下《燭台切光忠》)が現存することはもちろん知っていたし、研究者の方にお見せすることはありましたが、それを展示する対象として考えたことはありませんでした。
 
そんな

救ってくれよ!

「そろそろ災いまみれの世が到来するけど、どうする?」という末法思想が蔓延した平安後期ならなおさらだ。貴族の間では、死後に極楽浄土へ導いてくれるとウワサの阿弥陀如来にすがる者が増え、阿弥陀が信者を迎えに来る来迎図や仏像を作ることが大流行。後の鎌倉時代には、《阿弥陀二十五菩薩来迎図》《山越阿弥陀図》という劇的お迎えシーンも描かれ、死後の世界を恐れる民衆の救いとなった。
 
さて、末法思想の不安とは裏腹

盛って描くかリアルを残すか、 男たちの顔面決戦。

平安時代、礼拝や尊崇の対象として描かれたのが貴人や高僧の肖像画。やがて写実的な墨描きポートレート「似せ絵」を経て、中世には天皇や武士など権力者の肖像が描かれ始めた。
 時の大物の絵とあらば、求められたのはリアルな姿より、本人や発注者にとっての理想像だろう。抑えた表現で気品と威厳を描き出した《伝源頼朝像》はいかにも人格者に見える。《鷹見泉石像》は、蘭学の弟子(渡辺崋山)が師匠(泉石)を描いたものだか

モノクローム好き。

日本の近代絵画は西洋からの刺激で発展したが、それ以前の絵に影響を及ぼしたのは中国の美術。鎌倉末期に禅宗とともに伝わった水墨画は、「簡素で地味だけど、わかる人にはわかるよね」というスノッブさで、禅に心酔する室町将軍家に愛された。理想の風景を表現した山水画、禅の悟りを絵で伝える禅画、俳人による文人画などが描かれたこの界隈で、最もリスペクトされたのは中国・南宋時代の画家、夏珪や牧谿。京都の相国寺からは、

描かれたキャラで画家を知る。 動物たちの妄想劇場。

絵の中の動物をキャラ化して見ることはないだろうか。「この応挙の仔犬、絶対、眠いって言ってる」レベルの戯言で。その体でいくと、竹内栖鳳の獅子は孤高のボーカリストで海北友松の龍は歌舞伎役者。鳥獣戯画は小劇場の役者たち? 
 
京都画壇を率いた栖鳳は、寡黙ながら多くの画家に慕われた。土田麦僊ら愛弟子が反旗を翻した時もその自由を尊重し、西洋かぶれと揶揄されても気に留めず。まさに獅子王のカリスマだ。
 

荒ぶる幕末浮世絵師が 俺たちのヒーロー。| 歌川国芳

奇抜な絵も滑稽な絵も、はたまた気味悪い絵も、国芳の浮世絵はいつだってカッコいい。ワイドスクリーンいっぱいにどくろを描いた錦絵の、ただ事ではない迫力はどうだ。
 
英雄や豪傑を描いた武者絵で一気に名声を高め、三枚続の錦絵で人気を不動のものにした国芳は、幕府批判さえも軽々とやってのけ、江戸の庶民を喜ばせた。例えば1841~43年の天保の改革時。役者絵や美人画が禁じられれば、猫やガマガエルを役者に見立て