美醜の問題の
サンプル集としての少女漫画
「少女漫画のヒロインというと、大抵が可愛らしく描かれますが“ブサイク”なヒロインも新旧問わず多数存在します。昔の作品を読むと、いまだに乗り越えられていない美醜の問題がたくさんあることに驚かされます。美しくない側に振り分けられた人の苦しみや葛藤は今も昔も変わってない」
ほとんどの“ブサイク女子”は自分に自信が持てず、自己肯定感が低い。自身のブサイクさを否が応でも呑み込まなければならず、常に問いを突きつけられ、考え、折り合いをつけなくてはならない。
『鏡の前で会いましょう』は女性2人の体が入れ替わるストーリー。ヒロイン・みょーこ(明子)は大柄で不動明王のような容姿がコンプレックスだが、自分なりに人生を楽しむ自立した人物。
そんな彼女が、突然小柄で可愛らしい愛美の容姿を手に入れる。好きなファッションを楽しみ、異性からの好意的な目線を喜ぶみょーこ。
一方、愛美は愛美で、他者からの庇護を必要としない、パワフルな体を楽しんでいた。しかし、互いに外見のために不条理な思いをする出来事に遭遇。美人には美人の、ブサイクにはブサイクの苦悩があることを知る。
「美人とブサイクの単純な対立ではなく、お互いを等価に描く作品です。美人の周りには手を差し伸べてくれる人がいますが、だからこそ愛美は可愛い女の子として生きることを強いられ、自分を押し殺してきた。やがて外見の呪いから解放され、自分で立ち上がり歩いていこうとするところに希望が持てます」
ブサイクな外見を整形で克服するストーリーは多い。
『クラスで一番可愛い子』のヒロイン・えりは、地味な顔立ちで推しの俳優に気づいてもらえないことから整形を繰り返して美人になり、彼と付き合うために彼の友人に近づいていく。
「美人になれば俳優と付き合えると信じ込んでいる限りは、自身の視野の狭さに全く気づいていません。自分だけの幸せを追い求めるあまり、逆に幸せが遠ざかっていく展開は本当に怖いです」
一方、自らの醜さや境遇に苦しんだ末、恨みを募らせてダークサイドに堕ちたヒロインもいる。
60年代の名作、『赤んぼ少女』のタマミだ。生き別れた両親に引き取られた美少女・葉子を執拗に追い詰めて虐待するタマミは、姿は赤んぼのままで牙を持つ恐ろしい化け物だ。
「タマミが葉子に“おまえはわたしにいじめられてばかりいたと思っているだろうが ほんとうはおまえがわたしをいじめていたのよ”と言う場面があります。
美しい存在自体が誰かを虐げているなんて、現実ではとても言えませんが、美しくない側から見れば、ある種の真理を突いた切実な叫びのようにも思えます」
「見た目の差別はだめ」という認識が広まることでルッキズムが表面化しなくなったところで、問題の根本的な解決にはならない。
「あらゆる差別の歴史がそうであるように、存在しないことにするのではなく、どんな差別があったかを学んで理解したうえで、どうやって新しい時代に向かうかが重要です。
少女漫画というフィクションを通して、美醜にまつわる苦しみや乗り越え方、周囲の人々の反応をシミュレートしてみるのは、一つの方法としてありなのではないでしょうか」
また、ルッキズムは男性も当事者であることが見落とされがちだ。それゆえ、陰で思い悩む男性も少なくない。
「イケメンでなければからかわれ、かっこよくなろうとすれば冷やかされる。ルッキズムは男性にもついて回りますし、男性には男性の辛さがあるのだと思います。
そもそも容姿をコンプレックスに思っていいのか、メンズメイクをして乗り越えてもいいのか、という段階の人も、少女漫画というサンプルを通して考えてみることで、ルッキズムの呪縛からより自由になれるのではないかと思います」