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作家・津村記久子が「生活をやり抜く」を読む。KEY BOOK3冊

人は「言葉」で万物を理解し、思考を深める。激動するこれからの世界を知るには、新しい「言葉」(デジタル・ディバイド、ケアリングデモクラシー)、あるいは古いそれらのアップデート(孤独、身銭を切る)が有効な入口となる。1つのキーワードにつき、3冊。9人の選者によるKEY BOOKを読んで、明日への扉を開こう。

Photo: Rana Shimada / Text: Hikari Torisawa / Illustration: Kensuke Okano

生活し、労働し、
正しい目で世界を見つめる

「生活を続けながら、正気を失わないために読みたい本」を選んでくれたのは、作家の津村記久子さん。最初に挙がったのが、哲学教師の仕事を休職して工場に勤務したシモーヌ・ヴェイユの日記だ。

「『工場日記』には、8ヵ月間の労働の記録である日記と手紙がまとめられています。土曜日の午後と日曜日にしかものが考えられへん、週末にだけ“思考の断片がもどって”きて、“考える存在であったことを思い出す”と日記に書くほどしんどい仕事。

その経験からヴェイユが辿り着いたのは、働かないことと働くことについて、貴賤や白黒で思考すべきことではないということ。
有名な『重力と恩寵』でも、ヴェイユは“食べるために働き、働くために食べ……このふたつのうちのひとつを目的とみなしたり、あるいは、ふたつともを別々に切り離して目的としたりするならば、途方にくれるほかはない。サイクルにこそ、真実が含まれている”と書いています」

ヴェイユの思索の入口にもなり得る一冊だが、難しいことはさておいても、「なにしろ、働くということにこんなにも並走しようとした人がいるという事実に勇気をもらえます。“人生の現実は、感覚ではなく活動だ”という言葉の通り、ヴェイユは、体を張って働くこととは何かを知ろうとしました。

昼休みにデパートで食事したり、工場の人と雑談したりする場面も書き残されていて、哲学の本を読んでいただけでは見ることができなかった作家の姿が浮かび上がってくるのもファンとしては嬉しいです」。

『工場日記』シモーヌ・ヴェイユ/著
『工場日記』シモーヌ・ヴェイユ/著 田辺保/訳
20世紀初頭のパリに生まれた哲学者は、抽象の世界から距離を置き、労働を知るために女工となって工場に勤務した。34歳で世を去った著者の死後に、8ヵ月に及んだこの過酷な日々の記録を書きつけた日記とメモが、知人への手紙とともにまとめられて出版された。ちくま学芸文庫/¥1,200

詩人のありのままの生活とは?

「『工場日記』が働く編なら、『独り居の日記』と『一杯のおいしい紅茶』は生活編。58歳の独り住まいってこうやで、と書いてくれたのがメイ・サートンです。ありがたいですね。

独り暮らしの理由は、“飲まなかった一杯のお酒にも平衡を失ってしまう気質のおかげ”だなんて高尚さとはかけ離れているし、田舎の一軒家で庭があって、という生活は素敵でもあるけれど収益化されない。

むしろ、花が枯れていると指摘された、タクシーがつかまらない、と言ってはすぐ怒るし、書評が怖いとかオウムがいなくなって寂しいとか、華々しくもかっこよくもないことをガンガン書いて、人間58歳になっても悟りを開くわけじゃないし、それでOKなんやなと思わせてくれます。

先輩作家であるヴァージニア・ウルフについて、親切やねんけど優しくはない、“温か味を感じさせなかった”と書いているくだりも面白い。こんなふうにマイナスでもプラスでもない評価って大切だし、逆に、礼儀正しく振る舞ったり親切にしたりすることを、生得的なものと見なすのって危険やないですか。

女の人だから耐える力があるとか、優しいとか、ある種の神話性に女性が押し込められ利用されてしまう状況があるなかで、メイ・サートンのこの感覚や怒りの表明は、そういうものへの抵抗にもなっています」

ディストピアの裏側を読む

「灰色の、個性のない世界を豊かに描いた『一九八四年』。生活の豊かさを極限まで削られる苦痛を描く根拠には、オーウェル自身の生活への愛着がありました。
紅茶をおいしく淹れる方法、イギリス料理だってうまい!という弁護、たばこを吸うのと本を読むのはどっちがお金がかかるかという、庶民の生活のこと。

『一杯のおいしい紅茶』に書かれているのは、ディストピアが奪った生活なんですよね。こんなふうに、地に足のついた生活者の感覚を持っていた作家だからこそ、人間が理念や政策のために生きているんじゃない、と書けるんだなと納得しました」

収められたエッセイは1943〜48年に書かれたものだが「全く古びていません。生活を大事にすることで正しい目を持って生きることができるんやで、と教えてくれるアクチュアルな本です」。