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現代美術家・ミヤギフトシが「孤独」を読む。KEY BOOK3冊。一人で社会と対峙する時代、どう生きる?

人は「言葉」で万物を理解し、思考を深める。激動するこれからの世界を知るには、新しい「言葉」(デジタル・ディバイド、ケアリングデモクラシー)、あるいは古いそれらのアップデート(孤独、身銭を切る)が有効な入口となる。1つのキーワードにつき、3冊。9人の選者によるKEY BOOKを読んで、明日への扉を開こう。

Text: Emi Fukushima / Illustration: Kensuke Okano

一人で社会と対峙する時代、
どう生きる?

「“孤独”と聞いて思い浮かぶのは、19世紀に描かれたロマン主義の有名な絵画、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『雲海の上の旅人』。

切り立った崖の上に立つ男が、渦を巻く厚い雲海に覆われた山々の風景を見下ろしている家にいることが多かったここ数ヵ月、よくこの絵画を思い出していました」と語るのは政治や社会問題を自身のアイデンティティと重ねて表現活動をする現代美術家のミヤギフトシさん。

他者と物理的に距離を取るよう求められることに加え、従来のコミュニティが解体され、個々が暮らし方を選択することが必要になっている今、揺れ動く社会や大きな世界に対峙する強さ、孤独をむしろ糧とする力が求められている。

自身のルーツと向き合う

第二次世界大戦前後、激動の時代を生き抜いた女性・石井桃子さんの評伝『ひみつの王国―評伝 石井桃子』。『クマのプーさん』シリーズなど、児童文学の分野で翻訳家、作家として活躍した彼女の「孤独な境遇に立たされても、芯を貫く人生」からは学びがある。

「女性は結婚をして家庭に入って夫を支えることが良しとされた昭和の日本において、石井さんは1人で社会を渡り歩きながら101歳でその生涯に幕を下ろす直前まで、精力的に執筆活動を続けていた。その強さに惹かれます。
太平洋戦争前は、文藝春秋社で優秀な編集者として活躍し、戦中はやむを得ず体制側のプロパガンダに関わってしまい、恐らくその罪悪感からか、戦後は一時的に疎開先の宮城で農作業に注力。出版界の大きな流れとは一定の距離を置き、独自の道を選択します。

その傍ら、児童文学の翻訳、執筆、編集の仕事も再開するのですが、一貫して、社会の要請に流されるのではなく、自分が本当に良いと感じた作品だけを取り上げ、そして書き続ける信念があったと思います」

石井桃子さんは生前、自身については多くを語らなかったが、このノンフィクションでは、『クマのプーさん』を翻訳するきっかけをくれた編集者時代の同僚・小里文子さんとの親密な関係など、人生のあらゆる場面で築かれた女性たちとの協働関係が明かされている。

「男性優位の社会においても、女性同士が強固な関係を築き、世の中に文学の新しい形を提示し続けたことは、何よりも希望が持てることです。孤独は何も、個人の状態だけを指すのではなく、例えば、あるひそやかな関係があったとして、その生活や空間を守り通すこともまた、孤独に向き合うことの一つなのだと気づかされました」

『ひみつの王国―評伝 石井桃子』尾崎真理子/著
『ひみつの王国―評伝 石井桃子』尾崎真理子/著
作家、翻訳者、編集者として、あふれる才能のすべてを「子ども時代の幸福」に捧げた石井桃子の稀有な生涯を振り返った評伝。自ら触れることの少なかった戦前戦中の活動や私生活についても、200時間にも及ぶ石井本人へのロングインタビューや、残っていた手紙等をもとに描き出している。新潮文庫/¥382

そして、「孤独な時間と向き合うことで、アイデンティティを再発見できる」と教えてくれたのが、ミヤギさんの故郷でもある沖縄を舞台にした高山羽根子さんの小説『首里の馬』。

主人公は、地域に関する雑多な資料や情報をアーカイブした古びた郷土資料館を手伝いながら、世界の果てにいる人たちにオンライン通話でクイズを出題するオペレーターという不思議な仕事をしている女性。

「彼女が淡々と、地域の些細な記憶や情報、“知”を守っていくさまに触れて僕が思い出したのは、2019年に全焼した首里城のことでした。歴史上沖縄にとって大切な場所であるにもかかわらず、90年代に再建された当初は、その派手な姿に、あくまでも“観光客向け”だろうと、どこか土地に馴染まない存在として見る節が僕に、そしてほかの人にもあったように思います。

それでも時を経て、だんだんと沖縄の風景として根づいた中で、奇しくも起こってしまったのが2019年の火災。悲しさを感じると同時に、きちんと向き合ってこなかったがゆえ、この土地が首里城を失ってしまった悲しみの本質を理解できていない気がしたんです。

首里城の焼失でのやるせなさを感じた僕は、主人公が孤独の先に向き合い、未来に継ぐささやかなものの確かさに、救いのようなものを感じました。それぞれが時に孤独になって自分のルーツと向き合うことで、環境の変化の過程で迷った時に立ち戻る指針を留めておけるのだと教えられたような気がしています」

『首里の馬』高山羽根子/著
『首里の馬』高山羽根子/著
沖縄・那覇の郷土資料館に眠るあまたの記録。中学生の頃から整理を手伝っている未名子は、遠く隔たった場所にいる孤独な人たちにオンラインでクイズを出題する仕事をしていた。ある台風の夜、沖縄の在来種である宮古馬が自宅の庭に迷い込んできて……。2020年、第163回芥川賞を受賞。新潮社/¥1,250

繋がりを遮断し、孤独を選ぶ

一方で、日常生活のスケールで、都市や集団の中に身を置きながら孤独になることを肯定してくれるのが、フリーライター・スズキナオさんのエッセイ集『酒ともやしと横になる私』。

どのエッセイも日常の些細な出来事が愉快なトーンで書かれているのだが、ふと、友達や知人と集団でいる状況にもかかわらず、孤独である著者の姿が浮かび上がってくる瞬間がたびたび描かれている。ミヤギさんはそこに惹かれるのだという。

「特に印象に残っている作品が『糸のような水を見る』。よく遊びに行く幼馴染みの友人の家は、居心地もおもてなしも最高なのに、唯一トイレのタンクの水が溜まるのがとてつもなく遅いという難点があるとのエピソードが書かれていて。

外ではみんなが盛り上がっているけれど、自分は水を流さないと出られないから、タンクに水が溜まるまで、壁に描かれた抽象的な図形を見つめて、迷路にして遊べないかをぼーっと考えているという描写の、自分は今一人なんだ、と気づく感覚にすごく共感しました。
お会いしたことはありませんが、一人の時間とお酒を楽しむ先輩として、勝手に日々の行動の参考にしています(笑)」

『酒ともやしと横になる私』スズキナオ/著
『酒ともやしと横になる私』スズキナオ/著
「徹頭徹尾どうでもよくて冴えないのに、なぜか面白くてクセになる」。スズキナオの真骨頂ともいえる新感覚無意味系脱力エッセイ集。大阪のミニコミ専門書店〈シカク〉のメールマガジンで連載しているエッセイコラム「鈴木のぼやき」に大幅な加筆修正と書き下ろしを加えて書籍化。シカク出版/¥1,300

一日の中で家にいる時間が増えても、ついついSNSやテレビ電話で簡単に人と繋がる選択をしてしまう。が、人との接触を断ち、孤独な時間を過ごすことが、本当の空白を埋めるための術になると、この3冊は教えてくれる。

「僕は、一人で過ごす時間が好きですし、孤独の中でしか感じられないことがあると思っています。例えば、1本映画を観たら、その直後に誰かと感想を共有し合うよりも、まずは一人でじっくりと内容を反芻して受け止めたい。誰かといることで、逆に自分の思考が分断されてしまうこともあると思うんです。

もちろん、孤独に苦しさを感じる人もいますし、人それぞれ感じ方は違いますが、好むと好まざるとにかかわらず孤独な時間が求められる特異な時代に突入している今だからこそ、本を通じて孤独との付き合い方を見直してみるのも一つの手なのではと、感じています」