喪失を、憂え悲しむ以外に
できることって?
「世の中が変わるというのは、新しい時代が始まるということ。喪失されるものもあれば、同時に新しい懐かしさが生まれるということでもあるはずで、そこに目を向けることで見えてくるものってありそうでしょ」と語るのは、精神科医の春日武彦先生。
習慣が塗り替えられ、老舗も個人店もチェーンも次々閉店、見慣れた景色が一変した2020年。これは喪失なのか、転換なのか、それとも?
「何かが失われるということはそもそも、悲しみ、動揺すべきことなのか? というところから考えてみるのはどうでしょう?その喪失はある視点から見ると必然かもしれないし、失われてこそ価値や美しさを増すものや新しい意味合いが発見されるものだってあると思うんです」
未知の世界を驚き味わう。
「『失われたいくつかの物の目録』は、本棚にあるだけで嬉しくなるような本なんだけど、読みにくさもある。マニ教の経典なんて知らないし、海に沈んだ島が実在したのかもわからない。
一角獣を登場させて、書かれていることが嘘だと表明したかと思えば、あえて月面図を並べたりもする、このセンスに脱帽します。
喪失されたものや想像から生まれたものについてどう描写するのか、書き手の膂力が問われるタイプの本ですよね。今の世の中って、適者生存というのかな、一番いい上澄みをどんどん重ねてできているわけだけど、進化の背後には討ち死にして消えていった技術や工夫といったものがあった。
かつてはいたかもしれない、脚が奇数本の動物や一角獣のような存在に思いを馳せることで、これまで当たり前のように受け止めていたものの価値が際立ってくるということもあるし、世の中が今よりも少し、面白いものに思えてくるんじゃないでしょうか?」
喪失に焦点を定め、「バージェス頁岩に埋まっていた生き物たち」の仲間とも呼びたくなる事物を集めた本に続くのは、panpanyaの漫画。
「『二匹目の金魚』には、子供の頃の記憶がベースにあるような作品が収められています。教室で飼っていた金魚や放課後のかくれんぼなど、大人になった今は失われてしまったものたちに、この作者ならではの奇想が絡められていく。
“懐かしさ”というものを、想像力を働かせるためのフックとして使うあたり、すごくクレバーで面白い。漫画の間に挟まる短文もいいし、ノスタルジーと現在のリアルが不思議な形で混ざり合って、近未来的でさえある。
世界を知るための鍵というのは、実はこういうところにこそあるんじゃないかと思わせられます」
懐かしさが生まれるところ
社会学的な見地から、“懐かしさ”の正体を捉えるべく書かれた一冊も、新しい視点を得るヒントになりそうだ。
「『三丁目の夕日』的なノスタルジーの成り立ちについてきめ細かに追求し、考察を加えたのが『昭和ノスタルジー解体』です。『二匹目の金魚』が個々人の思い出に立脚しているとするとこちらは逆。社会全体の意見としての“懐かしさ”が生じるメカニズムを検証しています」
ゼロ年代の“昭和ノスタルジーブーム”に加えて、レトロやアナクロニズムなどの現象も研究しながら、懐かしい図像を眺めて読むエッセイやコラムのようにも楽しめる。「カセットテープやレコード、ポラロイドなどのように、一度失われたかに見えて失われていなかったものや価値が更新されたものって実はたくさんある。
技術革新によって姿を消しノスタルジーに組み込まれていくアイテムもあって、そんなあれこれが混ざり合う状態には、なぜかワクワクするし心地よささえ感じます。
そんなふうに考えてみたら、ほら、喪失だって変化だって、ちょっと楽しいものに思えてくるでしょう?」