1. Ultimate=究極を冠した新短編集
タイトルは『Super Deluxe Edition』はどうかなと考えていたんですが、ひとつ前の短編集『Deluxe Edition』の増補版のようなイメージを持たれてしまうのでは、とご指摘を頂戴しまして、結果『Ultimate Edition』になりました。クラシカルな印象もあるけど新しさもある、市松模様のカバーデザインがあがってきたときは嬉しかった。音楽のゴールドディスクもイメージの基になったと聞いています。
2. 装丁へのこだわり
デビュー作『アメリカの夜』の単行本をのぞいて、これまでの本の装丁には自分なりのアイデアや希望を出してきました。やっていくうちにどんどんこだわりが強くなり、『シンセミア』のときなどは、カメラマンを指定して決め打ちで撮ってもらったものの納得いかず、自分でモデルさんを雇って撮り直してもらうことに。神町トリロジー完結となった『オーガ(ニ)ズム』で、はじめて1色に白黒を加えたデザインを提案。続く『ブラック・チェンバー・ミュージック』ではピンク、今回は金色と1色シリーズが続いています。
3. ジャケットが体現するもの
もともと映画作りを志していたこともあり、映画のポスターやチラシを大量に見て、いろいろなデザインに触れてきました。CDやレコードを選ぶ際にも、たとえ中身がつまらなくてもジャケットがいいから手に入れたいと思うこともあり、デラックスエディションやアルティメットエディションが出れば買わずにいられない世代でもあります。映画や音楽と同様、本のカバーも作品のコンセプトを体現するものであってほしいですね。
4. エディ・スリマンのジャケット
今日着ているブルゾンは〈CELINE〉のものです。〈CELINE〉というよりエディ・スリマンが好きで、彼が〈ディオール・オム〉にいた頃から追っています。ただ、時代がオーバーサイズになってしまい、さすがに50過ぎてオーバーサイズはどうだろうか、と、ここ数シーズンは離れ気味。最近は古着に興味が戻ってきています。
5. 短編タイトルは既存の楽曲から
『Ultimate Edition』は“音楽アルバム仕立て”というコンセプトで編まれており、これは『Deluxe Edition』から受け継いだものです。朝日新聞の広告特集「もう一人の嵐たち」に寄稿した、嵐のメンバーをモチーフした掌編は「Sound Chaser」に、ダ・ヴィンチの「書き下ろしA.B.C-Z小説」企画のために書いた掌編は「Watchword」に、と改題したものも含めて、既存の楽曲から短編のタイトルをとってPLAYLISTとして並べました。音楽という、自分からは遠くにある分野から「借りているもの」だという感じを出したいんです。
6. 言葉という借り物
言葉もまた「借りもの」であるという意識は、作家が書く文章が作家自身の肉声を表しているとか、言葉が内面と直結しているとかいう、日本文学における「文体信仰」や「内面描写」の偏重傾向への疑いに繋がっています。様々なスタイルを模索する創意工夫はもちろん重要ですが、映像文化を勉強してきたわたくしとしては、表現するもの、されたものというのは、アプリで加工した写真みたいな「つくりもの」であって、虚実の虚であるという意識が強い。言葉も同様、作家が作り出したものではなくて、すでに使われ、存在していたものからひっぱって借りてきた単語やフレーズを仮構して小説にしているわけです。
7. 引用によって他者の言葉を取り込む
小説を書くことで挑むのは、自分自身が考え、語ろうとしたことも、すでに誰かが言った言葉であるという意識を持ち、それを組み合わせることで新しい意味が生まれる瞬間を自作のなかに宿していくこと。大西巨人や後藤明生など先行する作家たちの作品にも見られる試みを踏襲し、受け継ぎながら新しいものを生み出していきたいんです。今回の短編集でも、小説に、実在する記事を多く引用しています。ヒップホップアーティストが音楽の部分部分を歪ませたり遅らせたり繋いだりしてトラックを組み立てていく感覚に近いのかもしれません。
8. 検索作家というあり方
創作における検索は、自分が書いた文章をGoogleで調べてみるという手法がメインです。多くの人に使いまわされている表現をあえてそのまま残すこともあれば、あまりにも使われすぎているからこの文脈にはそぐわないと判断することもある。単語にしても、どれだけ自明でわかりきった言葉であっても複数の辞書で調べます。自分が意識していない、あるいは知らなかった意味を教えられたり、類義語を経由して別の表現に繋がったりもする、パソコンとインターネットを使いながらの執筆は『ニッポニアニッポン』を書いていた2000年頃にたどり着いたスタイルです。
9. 伊坂幸太郎の影響
書いては戻り、推敲しては書き直す、このやりかたの弊害は情報がどんどん増えて小説が長く、分厚くなってしまうことです。ある程度の情報量に収めておかないと読んで楽しんでもらえないと意識するようになったのは、伊坂幸太郎さんと『キャプテンサンダーボルト』を一緒に書かせていただいたときでした。伊坂さんの仕事を間近に見て、余計なものを的確に削っていくという技を学ばせていただきました。
10. 情報収集はインターネットで
締め切りがあろうがなかろうが一日中パソコンの前に座り、海外メディアの報道を中心にインターネットを回遊しています。20年以上にわたって日常的に記事を収集、分類、保存していて、そこで報じられる出来事を基にどのような物語を組み立てうるかを考えます。SNSで自ら発信することは稀ですが、有益な情報を発信したり、紹介したりしてくださる専門職の方たちをブックマークして日々チェック。非常にありがたいと思っております。
11. SNSとの付き合いかた
と言いながらも、SNSで自分が発信することにはまったく意義を感じません。それどころかSNSというものは人類にとって害悪でしかない、人類をダメにするものだと、憎しみに近い感情も持っています。Twitterもついにイーロン・マスクがCEOになってかなりの終末感が漂っていますね。「Neon Angels On The Road To Ruin」という短編には、Twitterのハッシュタグを使って闇バイトを募集する男が登場しますが、これだって日々現実に行われていることなんだと報道で知りました。
12. 闇の世界への興味
闇の組織、犯罪者、スパイ、ヤクザなどの反社会的な人物ばかりを描いているのには理由があります。わたくしの場合は拷問というシチュエーションを好んで描きたがるわけですが、追いつめられた状況に置かれている人たちというのは、日常の生活とは比べものにならないくらい頭をフル稼働させている。つまり言葉だらけになっていて、小説が描くのにこれほどしっくりはまる状況もないだろうと思うんです。なにしろ人間は言葉でしかものを考えることができないし、小説は言葉でしか組み立てられないものですから。
13. 国家元首を描き続ける
闇の社会をつくり上げている、あるいは闇の社会そのもののような人物も小説によく登場します。現実世界ではブラジルのボルソナロが大統領選に落選してめでたい一方、トランプなんて11月の中間選挙次第ではシーズン2あるぞこれ、という流れになっている。この10〜20年の間にポピュリズムが世界を覆ってしまったことにも関連して、彼らのように風刺の対象になりうる、対象とすべき、問題を抱えたリーダーが立て続けに出てきていると思います。「Eeny, Meeny, Miny, Moe」「Green Haze」など、『Ultimate Edition』には国家元首の姿を描いて連作的に読むこともできる短編も収録しました。
14. 小説と現実の符号
短編集の最後に置いた「There’s A Riot Goin’ On」にあるような、人生に生きづまり、なんらかの逸脱した行動によって一発逆転を狙うという発想を持ってしまう人物像も、これまで繰り返し書いてきました。ここ数年、いわゆるジョーカー事件と呼ばれるような犯罪が続いて起きてしまった。フィクションでそういったものを書いてきた人間として、物語の中では別の可能性があるのかもしれない、と感じ取ってもらえる話にできないだろうかという思いが、こんな状況下でもこのような小説を書く動機になっています。
15. 同時代の空気のなかで
「There’s A Riot Goin’ On」に限らず、『Ultimate Edition』にはそのときどきの報道に触れながら考え、思いついた作品ばかりを収録しています。今のこの時代の記録であり風刺でもある16編から、同時代の空気を読み取っていただけたら嬉しいです。
16. Ultimate=究極のその先は?
1994年のデビューからもうすぐ30年が経ちますが、30周年といっても自分では特に何も考えておりませんでした。これから書く予定の長編というのが、短編集冒頭の「Hunters And Collecters」に繋がる、ロシアに焦点をあてた物語なのですが、これを無事に完成させて発表するというのが当面の目標ですね。