いつ行っても変わらず名曲が流れる中央線沿いのクラシック喫茶
喫茶店やお菓子のパッケージ、クラシックホテルなど幅広い分野に詳しい甲斐みのりさんだが、東京らしさを感じる場所を尋ねた時に最初に挙げてくれたのが、クラシック喫茶だった。甲斐さんが最初に訪ねたのは、今はなき中野の名店〈クラシック〉である。
「当時は京都に住んでいて東京に遊びに行った時に訪ねたのですが、衝撃的でした。世の中にはこんな場所があるんだと。ソファの座面が破れていたり、かなりカオスな雰囲気。でも、お客さんたちは周囲を気にせず真剣に音楽に浸って自分の世界を築いていたんです。少し個性的なものが好きなだけで変わり者扱いをされるような田舎で育ったので、周りのことを気にせずに趣味に浸っている人たちの姿にすごく勇気をもらえたんですね」
京都にも喫茶店はたくさんあり通ってもいたが、〈クラシック〉で受けた衝撃は少し違ったものだった。その後、2001年に東京・阿佐ケ谷に引っ越し、甲斐さんの東京生活が始まった。近所を散歩していた時に見つけたのが、高円寺の〈ネルケン〉だった。
「周囲のビルの間にぽつんと立っている姿が、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』みたいだなって思ったんです。初めて見た時の印象と17年後の今日の印象も変わりませんが、きっとそれが何十年という単位になっても変わらないのだろうと。それは中央線沿いにあるクラシック喫茶、どこも同じような気がしていて。町の中にそういう場所を見つけることができるというのが面白くて、自分の中でクラシック喫茶が一つのキーワードになったのです」
ネルケンが高円寺に建ったのは、1955(昭和30)年。戦後から少し経ち、徐々に町が復興してきている頃だ。オーナーの故・鈴木傳太郎さんは、小さな頃からクラシック音楽に親しんでおり、戦後の混乱した状況の中で早く人々に心の平静を取り戻してほしい、音楽をきっかけにしてヨーロッパの文化芸術に親しんでほしいという願いを込めて店を開いた。
店名はドイツ語で「たくさんのカーネーション」という意味。多くの人に長く愛されるようなお店にしたいという願いを込めた。現在、店を切り盛りするのは、妻の冨美子さんだ。高円寺は当時どういう風景だったのだろう。
「当時は木造2階建てが一番高い建物で、こちらの店以外は全部変わってしまいました。住宅とお店を兼ねられる場所ということで探して、偶然見つけたのがこの場所です。設計は建物も家具もすべて主人が手がけ、宮大工の方に建てていただきました。装飾は地味ですが、とにかく音にこだわりまして。コンサートホールのような音響にしたいと、壁の素材や天井の高さもいろいろと工夫しましたの。漆喰の壁がデコボコしているのは、音を柔らかくするためなんです」と冨美子さん。
当時は、レコードを持っていたとしても、プレーヤーがない家が多く、音楽を聴ける場所が限られていたため、多くの人がクラシック喫茶やジャズ喫茶を訪れてリクエストをし、好きな音楽を存分に楽しんだ。時代は変わり、レコードプレーヤーが各家庭に普及、カセットテープやCDが登場し、今度はプレーヤーを持ち運べるようになる。
現在は、プレーヤーすらなくパソコンやスマートフォンで音楽を楽しむ人も少なくない。時代の波に呑まれ、なくなってしまった店も多いが、ネルケンに足を運ぶ人は絶えない。むしろ増えているかもしれない、という。
クラシックファンのみならず、多くの人に愛される喫茶店
「主人は音楽だけではなく絵画も好きでしたので、若い画家の個展を開催することも少なくありませんでした。だから、昔から音大や美大の学生さんたちは多くいらしていたんですが、最近は休日に見える若いお客さんが本当に増えていますね。中には親子4代、曽孫さんを連れてきてくださったお客さんや、50年ぶりに訪ねてきてくれる方も。30年ぶりっていうと、最近ねと(笑)。愛していただけるのは大変うれしいことです」と冨美子さん。
マダムの言葉に感動しきりの甲斐さんが、最後にクラシック喫茶に通う理由を語った。
「中央線のどのクラシック喫茶も、いつ行ってもお客さんがいる、それも東京らしいなと思います。でも、やっぱり永遠なんてありません。だから、その町に行った時には必ずクラシック喫茶には立ち寄ることにしています。東京は町ごとに、いろんな新しい世界への扉が用意されているのが面白いですよね。しかも、クラシック喫茶はそれが数百円で体験できる。ほかの町にはない魅力だと思います」
スピーカーにこだわる店、ライブ演奏が聴ける店、会話禁止の古き良き伝統を守る店。店の個性はさまざまだ。クラシック音楽への新たな扉は、町のあちこちに潜んでいる。
中央線のクラシック喫茶
ヴィオロン(阿佐ケ谷)
ミニヨン(荻窪)
クラシック喫茶 バロック(吉祥寺)