「むしろ作家の親友は作家ではなくて、泥棒、詐欺師、刑事、医者、弁護士、娼婦、実業家、水夫、ヒッピー、総会屋、その他何でも、作家以外の職業であるほうが、はるかに栄養豊富になれる。新鮮さをおぼえるし、好奇心がわき、謎を感じる。それが何よりも貴重なのである」(開高健『白いページ』より)
先のどの職業にも含まれないが、開高健が執筆と同じくらい大切にした「釣り」で交遊を深めた友人がいる、釣り師の常見忠である。2人を引き寄せたのは「ルアー」だ。
2人が後に親交を深めるのは、新潟県と福島県の県境付近にある奥只見。この地の銀山湖周辺では、ダムによって富栄養化した河川でイワナやヤマメが巨大化。噂を聞いた常見はこの怪物を釣り上げたいと画策、ルアーを使おうと思い立つ。
1967年に常見がトライした時には「そんなブリキの玩具みたいなもので釣れるはずがない」と周りに冷やかされたが、見事58cmの銀白色に輝く大イワナを釣り上げた。ここから常見のルアー人生は始まった。
翌年の秋、常見のもとに一通の手紙が届く。開高からだ。雑誌『つり人』で常見が発表した大イワナの記事を読み、ルアーフィッシングを教授願いたいという内容だった。そして2人は東京で会う。
「開高さんは、黒のトックリセーターを着ていて、第一印象は目の澄んだ人だなと思いました。そして、目の中に釣り師だけが持っている特別な光を感じたんです」と、常見。
約1年後に開高は『フィッシュ・オン』の世界釣行を終え、同書と小説執筆を兼ねて、常見とともに銀山湖へ長期滞在をしにやってきた。釣果は、狙いの60cmには及ばず58.5cmのイワナであったが、同書を締めくくる内容としては申し分なかった。そして『フィッシュ・オン』の刊行後、空前のルアーフィッシングブームが訪れた。
ルアーを通した2人の交友は続き、常見は開高の釣りの指南役を務め続け、数々の釣行を共にし、独自のルアーも開発した。
銅板1枚を叩いて作ったルアー第1号は開高が「Bite(バイト)」と命名した。その後も常見は、世界の漁場に出向き、自ら釣りをして新しいルアーの開発に勤しんだ。
そのルアーの優れた性能はビデオエッセイ『河は眠らない』で見ることができる。アラスカのキーナイ河、狙うはサーモン。「レッドサーモンはルアーでは釣りにくい」とされていたなか、最終日に68ポンドのビッグサーモンをヒットする見事なクライマックスとなった。
常見は開高作品で頻繁に名が登場するわけではない。しかし、開高の釣り作品の陰の立役者として、世界中への釣行のリード役として、多くの釣りファンたちから親しまれた。
2人は釣り環境を守るため「奥只見の魚を育てる会」を発足。禁漁区間の設定や稚魚の放流をするなどの活動を行う。2人が亡き後も、ルアーを愛し、釣りを愛し、自然を愛する精神は、多くの釣りファンの間で受け継がれている。