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建築家・吉村順三は、物語を生む。一脚の椅子から、新宮殿まで

デビュー作『火山のふもとで』では、見習い所員の目線で「先生」を描いた。その前日譚とも呼べる新刊『天使も踏むを畏れるところ』は、当時から構想された物語という。

photo&text: Toshiya Muraoka

2018年、大貫妙子のコンサートを聴くために八ヶ岳高原音楽堂へ行った。その日は小降りの雨のせいか、標高の高さのためか、夏の始まりにしては肌寒く感じられた。コンクリートと木造の組み合わされた建築は、直線的でありながら、周囲の地形に溶け込んでいる。

音楽家、武満徹の助言を得て建てられたという音楽ホールに入ると、まるで教会のような印象を受けた。採光のための窓が、天井にも視界の高さにも大きく配されていて、住居のような親しみも感じられる。

八ヶ岳高原音楽堂

教会と住居は、八ヶ岳高原音楽堂を設計した建築家、吉村順三にとって常に重要な仕事だったはず。そう考えながら、ぴたりと並べられるようにデザインされた、折りたたみ式の椅子に座る。レザーの座面が沈み込むように受け止めてくれる。座り心地に驚き、一緒に行っていた妻に、「吉村順三は家具まで手を抜かなかったらしいから」と話した。

ためつすがめつ椅子を撫でていたら、隣の席の男性から「その椅子、私が作ったんです」と声をかけられた。言葉をうまく返せずに話を聞くと、当時、吉村順三設計事務所を退所後にも家具を担当していた建築家・中村好文と共に、椅子製作を担った丸谷芳正さんだった。丸谷さんは小さな家具工房を経営していて、中村からの依頼で吉村のための椅子を作ったことがあったという。その縁からこの「たためる椅子」チームに加わったそう。

構想から、八ヶ岳高原音楽堂に300脚を納入するまでに3年がかかった。およそ30年後に当たるその日、丸谷さんは初めて観客として自分の作った椅子に座り、コンサートを観るのだという。どんな思いが去来しているのかと想像していたら、大貫妙子が現れてコンサートが始まった。台風が近づいていたせいで、陽が暮れるにつれて風雨が強くなったが、その打ち付ける音もまた音楽の一部のようだった。

文庫化された松家仁之著『火山のふもとで』を改めて読み返して、上記の記憶が蘇るようだった。日本を代表する建築家、村井俊輔の事務所に採用されたばかりの「ぼく」が、少しずつ仕事を任され、人間関係を育んでいくさまが描かれる。事務所ごと避暑に引っ越して集団生活を送る「夏の家」は、青栗村という名の土地にあり、おそらくは北軽井沢の「法政大学村」がモデルであると想像される。

『火山のふもとで』松家仁之/著
『火山のふもとで』松家仁之/著

事実をベースにした小説は、どこかで想像力に歯止めがかかるが、『火山のふもとで』では、その想像力が内に向かう。手触りや気温や、人と人が織りなす綾のようなものが醸成されている。まさしく建築的な豊かさに満ちた稀有な小説だが、著者の松家は「文庫版へのあとがき」で初めて、この建築家のモデルが吉村順三であると明かしている。

「吉村さんは一九六五年、皇居新宮殿の設計者を途中で辞任している。さまざまな理由によって宮内庁側と意思の疎通がかなわなくなり、これ以上は責任をもって設計者でいつづけることはできないと考えたからだ。『火山のふもとで』の最初の構想では、皇居新宮殿の設計から降りた建築家を、入ったばかりの見習いの所員の視点で、まったくのフィクションとして描くことができたらと考えていた。しかし書きはじめてみると、『夏の家』が舞台となる物語と、新宮殿の物語は、別々に書くしかないと考えざるを得なかった」(『火山のふもとで』文庫版へのあとがきより)

吉村順三がモデルであると明かすと同時に、もうひとつ、『新宮殿』の物語が20年以上前にすでに種として頭の中にあったことが語られている。

明治宮殿は、第二次世界大戦の終戦間近の空襲で焼失してしまう。1960年に新たな宮殿の設計を依頼されたのが、吉村順三だった。吉村順三設計事務所に勤めていた建築家、藤井章による回想記『建築家・吉村順三の鞄持ち』によれば、1960年に嘱託されてから、基本設計が完成するまでに3年半もかかっている。吉村が教授を務めていた東京藝術大学の分館がある奈良での合宿中には、東大寺や興福寺など「スケールの大きな建物を見学」し、次の合宿では「完成したばかりの、軽井沢はあの吉村別荘」で行われたという。

『建築家・吉村順三の鞄持ち』藤井章/著
『建築家・吉村順三の鞄持ち』藤井章/著

基本設計完成後の1963年6月には、「建設地に実物大の屋根模型を実際に建て、高さや勾配、棟木飾りの大きさや形まで実際の寸法で制作設置して検討しています」とある。実施設計も始まっていたが、「この2年間の実施設計の間に、先生にとっては失望することが多々あり、辞退を考えるに至ったのです」という。

「一人の建築家が全てを設計してまとめる設計世界と、宮内庁に依って組織化された役割分担の集団による設計世界の衝突が、辞退の大きな理由になったと思われます」(『建築家・吉村順三の鞄持ち』より)

「新宮殿の物語」をモチーフとした1000ページを超える松家の新刊『天使も踏むを畏れるところ』は、建築家と宮内庁の担当者ほか複数の視点から語られていく。史実をベースとしたフィクションであっても、一人の建築家の葛藤だけではなく昭和という時代の躍動が描かれなければならず、デビュー作『火山のふもとで』から23年という時間が必要だったのだろう。

『天使も踏むを畏れるところ』藤井章/著
『天使も踏むを畏れるところ (上・下)』松家仁之/著

「一人の建築家が全てのデザインをし、責任を持つことが、先生が考える建築家の果たすべき役割だったのです」(同上)

この言葉は、小説『天使も踏むを畏れるところ』にも通奏低音として響いているはずで、その「建築」に読み入る歓びを味わうことができるはずだ。