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想像する酒場の味をあっさり超えてしまう。伊勢〈向井酒の店〉

伊勢には、聖なる地にふさわしい酒場がある。一度は訪れたかった伊勢神宮で心洗われたあとは、地元の酒と料理で澄み切った胃袋をうんと満たす。お伊勢参りの壮大な寄り道に、いざ白暖簾(のれん)をくぐる。

初出:BRUTUS No.1005「旅したい、日本の酒場。」(2024年4月1日発売)

photo: Akinobu Maeda / text: Tamio Ogasawara

地理的に〈一月家〉を伊勢の西の横綱とするならば、東の横綱が〈向井酒(むかいさけ)の店〉だ。

うまい酒と話の前にはみんなが平等である。聖地の酒場、伊勢〈一月家〉へ

少し離れた伊勢神宮・内宮を詣でようと拾ったタクシーで、「お伊勢さんには“呼ばれる”もの」と耳にしたが、〈向井酒の店〉もまさに酒飲みが呼ばれる酒場だった。4代目店主の向井知章さんは大阪の日本料理の名店〈なだ万〉で修業し、23歳で伊勢に戻り、20年前に店を継いだ。

料理は「家で食べないもの」を基本に、魚を中心としたどれもが丁寧で優しく、それでいて和のものだけではない複雑なテイストを秘めた料理を供する。熟成した米酢と甘酢に漬け込んだいわし酢漬は見た目においしくまろみがあり、ぶりとわけぎのぬたは血合いの多い尻尾の方を使い酢みそを和えれば酒とよく合う。酒は2代目からの付き合いだという兵庫の「日本盛(にほんさかり)」を燗で頼む。

今が季節のとんぼしび(ビンナガマグロ)の刺し身は脂がのった腹の部分と皮ぎしをごろっと使い、土佐酢と焼きのりの磯辺酢とわさび、醤油で頬張る。さすれば、五味が混じり合い、刺し身なのにお寿司を食べているように錯覚する。不思議だ。

新鮮な素材をただ生かすだけでなく、そのあしらいの変化球もダルビッシュばりの多彩さで攻めるのが4代目の本領。佇まいは静謐(せいひつ)で、器までおいしい。「旨味の引き出し方はイタリアンの手法も入っている」とまだまだ奥は深いが、こんなにもきめ細かな、分厚い味のする酒場ならば、それは誰でも“呼ばれてしまう”はずである。

伊勢〈向井酒の店〉外観
席が埋まると「満席」の紙が看板に貼られるのでわかりやすい。でも、諦めずに顔だけは出してみる。