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入江哲朗が解説する、2度観なければわからない映画とその監督。タランティーノetc.

1度観ただけでは理解し切れない映画がある。2度目観るときはどこに注目すればより味わえるのか?物語を切り口に、3人の監督とその映画を通して考えてみよう。観てから読むか、読んでから観るかはお任せします。

text & edit: Keisuke Kagiwada / photo: AFLO

解説者:入江哲朗(批評家)

多数の物語が展開する、複雑な物語は“重なりポイント”に注目

物語が複雑な映画と一口に言ってもいろいろなタイプがありますが、ここで取り上げたいのは、90年代に一つのトレンドを形成した、2つ以上の物語をパラレル編集でつないで同時並行で語る作品です。

パラレル編集とは、異なる場所で起こった複数の出来事を、編集で交互につなぐ手法のこと。映画黎明期からある手法ですが、当初は一つの追いかけっこで追う側と追われる側とを交互に見せるなど、基本的には全体の統一性を損なわない範囲で使用するという規範意識がありました。

しかし、90年代のパラレル編集は、それを無視して、バラバラでもよしとする傾向がある。だから、物語は複雑になるし、失敗するとダメなマルチバースものみたいな散漫な印象になりかねません(笑)。

ここではパラレル編集を個性的に使って複雑な物語を語りつつ、かつギリギリのところで散漫にもしない監督たちの作品を通して、2度目に観るとき注目すべきポイントを語っていきたいと思います。

クエンティン・タランティーノ『パルプ・フィクション』

まず、最初に取り上げたいのはクエンティン・タランティーノです。そもそも今解説したような90年代のトレンドのきっかけは、タランティーノの『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』にありました。彼こそはまさに、パラレル編集にまつわる規範意識を無視し、「クールならそれでいいじゃん」と、複数の物語を複雑にシャッフルし始めた張本人。

時間軸も入り乱れるため、観客が登場人物に共感するのすら難しいわけですが、同時に観終わった後、「あのときのあれはこことつながっていたのか」とパズル的に組み立て直す面白さもある。そういう新しい映画の見方を、タランティーノは世に広めたわけです。

その上で、タランティーノに関して注目すべきポイントは、複数の物語がいつ重なり合うか。さっきも言ったように、バラバラのままだと訳がわからなすぎるし、面白くもありません。だから、どこかで重なり合う必要があるわけですが、その瞬間にこそタランティーノ作品の映画的な面白さがある。

『パルプ・フィクション』であれば、ブルース・ウィリス演じるブッチが、アパートに金時計を取りに帰り、トイレのドアを開けたとき。なんとジョン・トラボルタ演じるヴィンセントが用を足しているのです。「ここっ⁉」っていう(笑)。

それぞれ別軸の物語を担っていた登場人物を、「来るぞ来るぞ」という感じではなく、予想もしないところで重ねてしまうところにこそ、タランティーノのクリエイティビティがあると思います。

『パルプ・フィクション』
厄介事に巻き込まれたギャングのヴィンセントたちの物語と、八百長試合を引き受けたボクサーのブッチの物語が交互に展開する、タランティーノの出世作。'94米/監督:クエンティン・タランティーノ。

クリストファー・ノーランダークナイト

こうしてタランティーノが開いた扉の先に現れたのが、クリストファー・ノーランです。タランティーノのパラレル編集がクールさに立脚していたのに対し、ノーランのそれが追求するのは、頭脳的に導かれた美しい物語構造を組み立てること。だから、より難しい物語になりがちなのですが、彼の面白さは、その美しい構造のためなら、大事なものすら犠牲にするストイックさにあります。

例えば、出世作『メメント』。未来から過去へ遡るカラー映像と、過去から未来へ進む白黒映像のパラレル編集で描かれるのは、10分しか記憶がもたない男の物語です。そして、最後にその2つが重なる。

この美しい構造こそがノーランのやりたかったことで、主人公の記憶障害のリアリティなんかはおそらく興味がない。記憶に障害があると言いつつ、実際にはかなり記憶力がいい。精神医学的リアリティが、ストイックに省かれているわけです。

そのストイックなパラレル編集が、最もダイナミックな力を発揮するのが、『ダークナイト』の病院爆破シーン。病院でのジョーカーとトゥーフェイスの鬼気迫る対話の後に爆破が起こるわけですが、ここだけでもかなり見応えがあるわけです。にもかかわらず、ノーランはそこにもう一軸の物語を導入してしまう。

もう一軸では、ブルース・ウェインの会社の会計士が、一般市民に殺されそうになっています。なぜならジョーカーが、バットマンの正体はブルースだと暴露しそうな会計士を殺すべく、一般市民をけしかけたから。

そして、会計士を乗せた車が市民の車に体当たりされそうになるところを、間一髪、ブルースの運転するランボルギーニが事故に見せかけて追突して救出する。凡百の監督であれば、爆破シーンまでのタメを長引かせたくなるでしょう。

しかし、病院爆破へ至るサスペンスと、会計士が殺されるか否かというサスペンスを、パラレル編集でつなぐというアイデアをひらめいたノーランは、実現せずにはいられないわけです。

『ダークナイト』
ノーラン版バットマンのシリーズ第2作。今作のヴィランはジョーカーとトゥーフェイス。故ヒース・レジャー演じるジョーカーの存在感が強烈な印象を残す傑作。'08米/監督:クリストファー・ノーラン。

スティーヴン・ソダーバーグコンテイジョン

自身で編集も手がけることもあるスティーヴン・ソダーバーグは、編集の力量で言えば、タランティーノやノーラン以上だと個人的に思っています。うますぎて、複雑な物語がそうは見えないほどです。『オーシャンズ』シリーズなんて、11人以上の人物が登場するのに、破綻なくまとめ上げているわけですから。

ソダーバーグは『トラフィック』以降、数々の群像劇を作っていますが、ここで触れたいのは、コロナ禍で多くの人が観たであろうパンデミック映画『コンテイジョン』。編集の巧みさのみならず、複数の物語の軸をさりげなく、しかし非常に効果的に重ねているところが要注目です。

まず物語のあらすじを確認しておきましょう。ベスという女性が香港出張からアメリカに帰国すると意識を失い亡くなる。彼女こそ新型ウイルスの第一感染者なのですが、そのことは途中まで判明しません。その後、世界的なパンデミックが起こり、ベスの夫ミッチ、アメリカの感染症センターで働く人たち、香港にいるWHOの研究者たちの物語が同時並行で進む中、最終的にワクチンが開発されて事態は収束していく。

ます注目したいのは、ミッチが感染症センターの女性から面談を受けるシーンです。実は冒頭にベスの浮気シーンがあるのですが、この面談を通してミッチはその事実を知ってしまうのです。短いシーンですが、ミッチ、感染症センターの女性、ベスという3人の物語を、さらっと重ねてしまっているわけです。

さらにすごいのは、ラストシーン。既にワクチンが開発され事態が収束に向かう中、ミッチは家の中でベスのデジカメを発見します。中を見ると、死ぬ直前に香港で楽しそうな顔を浮かべているベスの写真があり、ミッチは思わず泣いてしまう。表面的に見れば、ミッチ軸の物語の感動的なクライマックスなのですが、ソダーバーグはそれだけでは終わらせない。

なぜなら、そこに写っている写真こそ、ほかの軸の物語において研究者たちが探していたウイルスの発生源を示す証拠だからです。つまり、このシーンでは、ミッチ、ベス、そしてウイルスの発生源を探していた研究者たちの物語が、すべて重なっていて、感動せざるを得ません。

繰り返しになりますが、ソダーバーグは複雑な物語を全く破綻なく語れてしまうので、多くの人は1度観ただけで、満足してしまうかもしれません。

だけど、2度観るときはさらに細部に目を凝らしてみると、ほかにもいろいろな工夫をしていることが見えてくるはずだし、ほかの監督についてもそれは当てはまるでしょう。そうやって自分なりの面白がり方を見つけることが、複雑な物語の映画を観る楽しさだと思います。

『コンテイジョン』
新型感染症のパンデミックを描く、コロナ禍を予言したかのような群像劇。マット・デイモン、マリオン・コティヤール、ケイト・ウィンスレットらが出演。'11米/監督:スティーヴン・ソダーバーグ。