ダージリンの茶葉が
特別である理由
たとえば日本茶の生産量は静岡県だけでも年に約4万トン。それと比べて、ダージリンの紅茶はすべて合わせても約1万トンに過ぎない。これはインド全体の生産量のうちわずか1〜2%ほど。
しかし、その1〜2%こそが最も上質な紅茶と評価されているわけだ。その秘密はどこにあるのか。実際に現地で生産者の声を聞いてみた。
まず彼らが強調するのは、それぞれ固有の立地条件だ。ダージリン地方は7つの険しい谷に分かれており、87の農園が点在する。どれひとつとして同じ畑はなく、地勢や土壌、微気候=ミクロクリマは微妙に異なり、味の違いを生む理由のひとつとなっている。
共通するのは四季を通じて雨が多く、常に濃い霧が一帯を覆っていること。インドで主力となる茶樹の品種はアッサム種だが、このダージリンだけは当初から中国種が根づき、今も多数を占める。畑は谷間の急斜面にあり、機械も入らない細かな起伏上に茶樹が散らばっている。
このため樹の剪定から茶摘みまで、ほぼすべてが人力。アッサムやニルギリなどインドでも平地主体の産地では機械収穫だが、ここだけは例外だ。収量も低く、1ヘクタールあたり平均で約500〜800キロほどで、これは平地の3割ほどしかない。
茶摘みは、年間4回行われるが、7〜9月の雨季は量は多いが質が劣るため大半がブレンド用に回される。つまり、高品質の茶葉が採れるのは年3回。全て足しても、1本の樹から最終的に採れる紅茶は年間わずか100グラム。1キロの上質な紅茶は、人の手で摘んだ2万枚以上の葉でできている。
製造工程も独特でオーソドックス製法と呼ぶタイプ。大型の専用機械で葉を細かくクラッシュして仕上げる現代的な処理方法に対し、時間をかける伝統製法だ。
一度の処理量も少ないため、効率が劣る反面、茶葉の状態を丁寧に観察しながら進められるというメリットがあり、高値で流通するダージリンだからこそ、この製法が守られている。
その特徴は、葉の原型がしっかり残ること。特に上質なカテゴリーに分類される茶は、新芽でも「一芯二葉」と呼ばれる先端部分だけを摘んで作られる。
高価なこともあり、ダージリン産紅茶はそのほとんどが海外へ向かう。主な輸出先はイギリス、ドイツなどヨーロッパ各国、そして日本。近年はロシアや中東の富裕層なども増えており、年産1万トンは取り合いになる状況だ。
必然として昔からニセモノは非常に多く、「ダージリン」の名で流通している紅茶は本来の生産量の4倍以上という報告もあるという。インド紅茶局やダージリンの生産者協会は長年続くこの事態を改善すべく、WTO(世界貿易機関)に申請してGI=地理的表示を取得。
ダージリンは、“シャンパン”や“スコッチウイスキー”のように、産地によって定義・限定されるようになった。ダージリン産の紅茶は当局によって認証マークが与えられ、その出自が証明される。逆にこれがない場合は他産地のものが混入していたり、そもそもダージリン産が一切含まれないまがいものということまである。
こうした努力にもかかわらず産地偽装は後を絶たず、生産国インドはもちろん、消費地各国でも紛らわしい呼称や不正な使用例は多いという。
一方で、意識の進んだ消費者の間で今フォーカスされているのは、単にダージリン産というだけでなく、その中のどの農園で作られた茶かを重視する飲み方だ。
ダージリンにも多くの農園があり、それぞれの風味が異なるという事実は今まであまり知られていなかった。しかし近年は各農園の個性を知り、その味わいの違いを楽しむというスタイルが増えている。
たとえば、“ボルドーワイン”といってもシャトーごとに味が異なるのは古くから知られている。たとえ同一地方でも、生産者によって土壌や天候のような立地条件、品種構成や栽培方法、さらに醸造や管理熟成のテクニックに違いがあり、そうしたパラメータは複雑に絡み合って作用する。
結果、製品となったワインには明確な違いが生まれ、個々に評価が与えられ、当然それは値段に反映される。ダージリンはどうか。ひと言で言ってワインとまったく同じであると飲み手側も気づいたのだ。
具体的に農園を見てみよう。それはひとつの村のようなものだ。頂点にはマネージャーと呼ばれる責任者がおり、農園でも見晴らしのいい場所にコロニアルスタイルの邸宅を構えて住み、栽培から製造まで一括して指揮している。
マネージャーの下には畑や工場など各部門の責任者がおり、その下にも細かく個別に担当者がいて、というふうに組織は完全なピラミッド構造をなす。広大な敷地内には畑だけでなくスタッフの住居や売店、診療所、さらには子供たちが通う学校まであり、マネージャーはいわば村長のような役回りだ。
そのサイズは最大クラスのタルボ農園で500ヘクタール近くもあり、スタッフも1000人規模だが、小さなところは家族経営に近く、敷地もぐっと狭い。各農園の畑はセクションという小さな区画に分かれ、それぞれに適した茶樹が選別、栽培されている。シーズンが来ると、茶摘みは葉の状態を見ながらセクションごとに行われ、農園内の工場で別々のロットとして仕上げられる。
出荷時には農園名とともにこのロット名が「DJ-xx」のようにつけられ、値段はこの個々のロットにつく。つまり、同一農園で同一時期に収穫しても、ロットが違えば味が異なるということだ。
オークションでも同じ農園の別ロットになると値段が半分に、ということも珍しくない。国内外のバイヤーはその違いを見極めて“買い”のジャッジを下すわけである。
この地方を代表する
タルボ農園
この地方でも最大級の農園で、畑の位置する標高も762mから1,890mまで幅広い。ダージリンの中では純粋中国種の割合が低く、逆に様々な交配種を用いて多彩な紅茶を産出している。工場は農園の敷地内中央にあり、それぞれの畑で摘まれた葉が順に運ばれてくる。
ダージリンの紅茶作り
世界的にほとんどの産地が効率のよい近代的な製法を導入し、紅茶を生産している。
しかしこの地方だけはオーソドックス製法という伝統的な工程が全域で守られており、そのプロセスを経たものだけがダージリン紅茶を名乗れる。順を追って見てみよう。