漫画家・いがらしみきおさんによる書籍『IMONを創る』は、パソコン黎明期の1980年代末〜90年代初頭に「人間のためのOS(オペレーティング・システム)」である「IMON」=「いつでも・もっと・おもしろく・ないとなァ」の構築を目指して書かれた。本書を読んだ品田さんの率直な感想は、「正直、完全には理解しきれていません。でも、言ってることは直感でわかるなあって感じ」。ダ・ヴィンチ恐山の名義でWEB上でも幅広く活動する品田さんが、この本を通して考えたことを聞いてみた。
現代を生きるヒント「IMON」とは?
ここに書かれていることは、「面白く生きよう」ということでしかないのかもしれません。しかし、内容は想像以上に入り組んでいて難解。ただ、著者のいがらしみきおさんがこの本を通して何を問題視していて、どう解決策を示そうとしているのかは、なぜかすごく感覚でわかる。
特に良いなと思ったのは、IMONの3原則「リアルタイム・マルチタスク・(笑)」の(笑)という要素です。これは物事に対する捉え方の話だと思うのですが、人生の中でシリアスな考え方にならざるを得ないとき、それに対して「何これ」と途方に暮れてしまう感覚。冷笑するということではなくて、ただただ何だろう、おかしいねって笑ってしまうことなのかなと思います。(笑)に立ち返ってこられるような原則があるのとないのとでは、生活に対するスタンスが変わってくるんじゃないでしょうか。
感動したのが、いがらしさんがIMON理論を通して、面白く生きる方法を言葉で説明することに成功している点。これは私がやりたいことだし、本当は皆がこのような「世界説明書」みたいなものを一生に一冊は書けるんじゃないかって思いました。
私は6年前からウェブ上で日記を書いていますが、何も参照せずにただテキストを毎日打っていると、自分がちょっとずつ世間の感覚からズレていく。そんな自分を客観的に見て面白がっています。今、SNSを見ると色んな対立があって激しい言葉が飛び交っていますが、あれはたくさんの人との関係の中で反響してそうなっているように見えて。私はもっと、一人で閉じこもって1万字書いたときに自分の考えがどう出力されるかの方に興味があるし、皆のそうなった状態を見せてほしいなって思うんですよね。
AIと共に創る
不思議なのが、この本が出た1992年と今ではパソコンの展望や流行が全然違うのに、そこで示されている問題意識が、ものすごく現代に通じている。例えば、「パソコンは生き物である」と書いてあるのですが、ChatGPTは丁寧に質問した方が良い答えが返ってくるように、最近のAIが人間的になっていると感じます。今後は、普段の話し相手になるAIを自分でセットアップして、自分が心地よい環境を自分で作っていくことが当たり前になると思うのですが、そこで必要なのは、虚しくならない才能。
AIというものは過去のデータを参照して組み替え、現在に使えるような形に持ってくるという仕組みが多いのですが、それを繰り返していくと、お風呂の湯を濾過しながら何度も追い焚(だ)きし続けるのと同じように、情報が濁っていく。だから、人間の役割はAIのサイクルの中に外部からリアルタイムなものを呼び込み、新鮮なものにチューニングしていくことになると思います。
そのためにはいったん、正義とか悪といった主義主張から離れ、自分の中にないものを(笑)でくくって「何なんだろうねこれ」と面白がって、自分の半径数メートル以内に置いてみることが必要なのではないでしょうか。私はたまにYouTubeで普段検索しないワードを入れて、再生回数6回とかの動画を観たりしています。そうしないと、自分の中の土地が枯れていくような気がするんです。
だから、IMON理論のルールで登場する「なんでもやる」っていうのは本当にそうだなと思いますね。よくできたものはAIが作れてしまうから、人間はなんでもやるっていうことが大事になってきたと感じます。
これからAIはより正しく、間違えないようになっていくと思います。それでも、どんな機能でも用途が1つな訳はないと思うので、何かしょうもない形で使いたい欲求がある。そのしょうもなさって、これまでその波が微小だったから見えなかっただけで昔からあるものだと思うんです。
AIがあれば、しょうもないとされていた小さなものを極大化することもできる。人間がかつて一生懸命やらなきゃいけなかった「一生懸命」の部分をAIが肩代わりしてくれるなら、どんどん「しょうもない」とされることにも取り組める。それは面白そうだし、そういうやり方でしか「IMON」は実践できないと思います。