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《いいちこ》雑誌広告30年の歴史。アートディレクター・河北秀也が語る、継続性を武器にした冒険

お酒をまったく飲まない人も、《いいちこ》という名前は目にしたことがあるだろう。1979年の発売以来、高い人気を誇るこの焼酎は、とてもユニークな広告戦略を貫いてきた。『ブルータス』に89年から31年間(!)にわたり掲載された広告も、その一環。すべてのデザインを手がけてきた、アートディレクターの河北秀也に話を聞く。

初出:BRUTUS No.922「お金の、答え。」(2020年8月15日発売)

photo: Natsumi Kakuto / text: Takahiro Tsuchida

「発売元の大分の三和酒類とはものすごく縁があって、実は僕の姉夫婦が三和酒類で働いていました。この会社が、日本酒が売れないから焼酎でも造ってみようと開発したのが《いいちこ》。安くて質の悪い甲類焼酎が主流の時代、麦焼酎の独特の匂いを香りに高めた乙類の焼酎でした。これをもっと売っていこうと、僕がポスターを依頼されたんです」

当時、80年代初めの河北さんは、地下鉄のマナーポスターなどをデザインして第一線で活躍し始めていた。《いいちこ》のポスターも、84年から東京都内の地下鉄ホームでの展開を開始。やがて順調にファンが増え、焼酎のトップブランドへと成長する。そこで89年頃から、雑誌広告にも力を入れることに。

「テレビCMも選択肢でしたが、テレビでお酒のコマーシャルが規制されていないのは日本とブラジルくらい。いずれ日本もそうなるはずだから、CMで先行する大手メーカーを追いかけるより、グラフィック広告を厚くしようと考えました。そこで選んだのが『ブルータス』。マガジンハウスの雑誌は平凡出版の頃から骨があって好きだったし、誌面に負けない広告を作ってやろうと考えました。同じ時期から毎号広告を出したのが『月刊プレイボーイ』で、あれも尖った雑誌でしたからね」

こうして始まった雑誌広告は2ページ見開きで、当初は地下鉄用のポスターとは異なり、長めのコピーを使用していた。

「一瞬で通り過ぎるポスターと違い、雑誌広告のコピーはしっかり読まれるだろう、と文明批評を意識して制作しました。80年代末はバブルで、日本を売ればアメリカが3つ買えるといわれた時代。でも何かおかしい、日本にはもっと大事なものがあるんじゃないか、そんな感覚をデザインに込めたんです。例えば福井の眼鏡工場で働く工員をカップルにして、浜辺で撮影した雑誌広告。石垣島の島民をモデルに現地で撮ったことや、バリ島のウブドへ行って撮ったことも」

その流れから、日本人のルーツともいわれた中国・雲南省の人々のポートレートのシリーズも生まれた。

「でもコピーでは雲南省なんて一言も触れていません。いかにも日本人のように写真に撮って、日本人であるかのような文章を書いて(笑)。でも本当っぽいでしょ?」

いいちこの広告
(1995)雲南省の人々の顔は日本人にそっくり。

こうした広告は、多くの人が忘れかけていた感性や価値観を思い起こさせ、話題に。また90年代に河北さんが斬新なブルーのボトルを手がけた《いいちこスーパー》の広告では、徐々に抽象的なデザインへ。

「鉱物のシリーズは、静岡に鉱物の博物館があり、そこで撮影しました。石なのにバラの花に見えたり、面白いものがたくさんあって、読者にはずいぶんと新鮮だったはず。僕はよく広告に向いてないって言われるんです。目をつけるものが、世の中の動きより早すぎるから。でもずーっと続けていると、いつかは時代がついてくる」

いいちこの広告
(1994)作為とは無縁の鉱物の魅力が光る。

早いといえば、いち早くコンピューターグラフィックスを使ったシリーズは95年にスタート、その後も《いいちこスーパー》のボトルをモチーフに多様な広告を発展させていき、2013年以降はそのフォルムを食材や料理によって表現するシリーズが定着した。

「改めて食べ物で何かやってみたいと思ったんです。酒の肴に限らないけれど、焼酎の広告として何より違和感がないですよね。世の中にはいろんな食べ物があるから、ネタに困ることはありませんでしたが、撮影は大変です。時間が経つと乾燥したり、溶けちゃったり(笑)」

実は食べ物を用いた《いいちこスーパー》の広告は、『芸術新潮』誌にも掲載されている。芸術は人が作るもの、そして人を作っているのは食べ物、そんな関係性も意識していたのだという。

「こういう表現は、ずっと継続しているからできるんです。一回だけ見たら何なのかわからないし、クライアントも認めるわけはない。でも長く続けていると誰でも《いいちこ》だなと理解できますよね」

つまり継続ゆえの冒険が、《いいちこ》の独創的な雑誌広告の強みだった。こんなアプローチを認めるクライアントの寛大さも興味深いが、実は広告が誌面に掲載されるまで、河北さんは内容をクライアントに明かさないのだという。

「最初にポスターを作った頃から、《いいちこ》の売り上げは200倍くらいになった。こうして大きくしなければ、僕の仕事もなくなっていたわけです。だからクライアントに信頼されているというよりは、もはや運命共同体なんです(笑)」

いいちこの広告
(1995)イタリアの写真家、カルロ・ラヴァトーリとコラボ。