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「大人を満喫」最果タヒが綴る、アイスの思い出

詩人・最果タヒが語る、アイスの思い出。

初出:BRUTUS No.1009「本当においしいアイスクリーム」(2024年6月3日発売)

illustration: Fukiko Tamura / edit: Emi Fukushima

文・最果タヒ

むかしむかし、ハーゲンダッツにお店があった頃、7のつく日に7つのアイスをカップに山積みにして500円で食べられる、というキャンペーンをやっていて、私はハーゲンダッツのベルジアンチョコが大好きだったからたまにベルジアンチョコだけで7つ積み上げてもらって食べていた。今思うと500円でそれだけ食べられるなんてお得だなぁと思うけれど、当時の私からするととても贅沢なことだった気がする。

私はその頃バイトを始めたばかりでお金をそんなには持っていなかったし、それから自分が何になりたいかも、未来がどうなるのかもよくわからなくて、自分が何者なのか暗闇の中で探るような日々だった。詩はすこし書いていた気もするけど、でもそれが未来まで続けられることだとは思っていなかった。

バイトで稼いだお金を欲しい服や音楽に使って、そうしてなんだか先が見えない中にいる。好きなものにお金を使うのって、未来に何を望んでいるのかわからないうちは、楽しいことでもあるはずなのにどこか自分の蓄えている光の底が抜けてしまって、なにもかもが入っては抜けていくだけのような、そんな空洞になった気がして寂しかった。

私は何かを好きだけど、その何かを作ったわけではなく、それを理想にして何かを作る人や、それに関わる人になろうとしているわけでもない。お金を稼げることは嬉しかったけど、思ってたのとは違うなぁってずっとずっと考えていたのだ。欲しいと思うものを自分の裁量で買うって、昔は夢のようなことだったけど、そこに「欲しい」以外なんの気持ちもないことが、買ってみるとわかって、たまに耐えられなくなっていた。

急速に自分が大人になって、いろんな選択をする自由を得た実感が湧いて、それなのに、それを嬉しいと思えない。そして自由を謳歌できていないことも、とてもショックなことだった。昔は自由になりたいって苛立っていたのに、不自由に対して反発するエネルギーはあっても、やっと窓が開いたらそこから放つための矢がなかった。あんなに窓を開けろって騒いでいたのに。

今思うと、私はバイトで稼いだお金で、いかに欲しいものを効率よく買って、自分の欲しいものを手に入れるかに必死で、お金を持っていることを本当の意味で楽しむことができていなかった。気まぐれに、思いつきでお金を使うってことが苦手で、それは人と遊んだりすることがあまりなかったからかもしれないが、その場のノリでけらけら笑いながら買ってみちゃうものとか、注文しちゃうものとかそんなになくて、ただお金が少しあるってだけなのに、そのことに少し期待をしすぎて、慎重でいたのだろう。期待しすぎていたから、使っても未来が見えてこなくて怖かったのだ。

アイスがすごく好きなので、ハーゲンダッツのお店によく行っていた。私にとって高級なおやつだったけど、でもそれでもそこで考え抜いて選ぶフレーバーでサンデーを作ってもらうこととか幸せだった。

いつ、7つの味全部を好きなチョコレートにしようと思いついたのか、もう記憶は曖昧だけど、あの頃の私がやっていたお金の使い方で、一番ノリが良くて、一番本人として夢を感じた買い物だったように思う。自分の好きな味だけをずっと食べる。ずっとずっと食べる。「本当に同じのでいいんですか?」と店員さんに聞かれて、ヘラヘラと笑って頷く時とか、私は多分すごく楽しくて、好きなものを買っていたけど、好きなものを買っているだけだな……なんて落ち込み方はしなかったはず。自分の今が面白くて、自分が自分の今を面白がっていることが、それだけで嬉しくて、満足だった。

あの頃の私は、たぶん大人になったことを満喫することがとても下手だったけど、この時だけはうまく行っていたなぁ、なんてことを今は思います。

アイスの思い出。「大人を満喫」文・最果タヒ