映画監督と作曲家の幸せな関係は、20世紀を彩る出来事として忘れられません。それはここでは語り尽くせない豊潤な世界です。そして21世紀になり、映画音楽の大半は、いわゆる“劇伴”として映画をもり立てる役割が定着しました。
旋律を控え、邪魔にならず、音響としての最大効果を受け持つようになり、一定のアルゴリズムに支配される傾向に。かつて主流だった映画音楽のロマンティシズムは、ジュゼッペ・トルナトーレ作品におけるエンニオ・モリコーネの『ニュー・シネマ・パラダイス』('88)が最後だったでしょう。
それに対する少数の作家の試みに注目するなら、ポーランド映画『COLD WAR あの歌、2つの心』を挙げておきます。監督のパヴェウ・パヴリコフスキは、音楽を“劇伴”ではなく、“映画の中の音楽”として生き生きと捉えていました。もう一つ、SFドラマ『メッセージ』のエンドクレジットで流れるヨハン・ヨハンソンの「カンガルー」も印象深かった。極めて現代的な響きを持った作品で、これには久しぶりにドキドキした覚えがあります。
生涯に308本もの映画音楽を手がけた作曲家・佐藤勝は、“劇伴”という言葉を嫌い、自分は劇の伴奏を作ったことなどない、と発言しています。映画音楽は“音色”だとも。僕は中学生のとき、黒澤明の『用心棒』('61)の音楽を覚えようと映画館に計6回通いました。その作曲者が佐藤勝。“音色”が映画ととても共鳴していたことを今もよく覚えています。
音楽監督については、いささか不案内ですが、イギリスのコメディ映画『ファニー・ボーン/骨まで笑って』が気になります。僕はこの映画でレイモンド・スコットという稀有な音楽家を初めて知り、劇中に流れるスコットの代表作「The Penguin」に衝撃を受けました。映画は、アメリカのコメディの源流がイギリスであることを示し、歴代の天才コメディアンと、豊富な歴史的音源が網羅されています。
その音楽監督がジョン・アルトマンというジャズ・ミュージシャン。監督のピーター・チェルソムとともに選曲したのでしょう。この“選曲”こそが映画監督の音楽的センスが問われる大事な要素だと思うのです。