大通り沿いでなく細い路地では全てと言っていいほど、ほとんどの家が軒先に植物を並べている。塀や室外機の上を利用することが多く、なかには背の高い物置や瓦屋根の上に置いている家もある。和洋の花々を揃える家、草木中心の家など、どこも個性的。育てやすく手に入りやすいアロエやサボテンばかり大量に並べる家もある。たまにその物量に圧倒されたりしながら、通りを散策するのが楽しい。
なぜこの地帯だけがこんなことになっているのだろうか。近所の人に聞くと、口々に、「下町だし、庭がないし、花が好きだからよ」と言う。確かに、戦前からの小さな家が密集した地域で、庭を持つ家が少ないというのもあるだろう。プランターで野菜を育てていたおばあちゃんは「隣のおねえちゃんが好きだから、一緒に育てて話したりしてね。根津神社のお祭りやリサイクル市で鉢を買うのよ」と嬉しそうに、キュウリがなっているのを見せてくれた。
プランターを階段に並べていた奥様に至っては、ここで園芸がやりたくて引っ越してきたのだそうだ。センスの良い草モノ中心に並べる花屋〈花木屋〉の店主、岡野廣美さんも「近所の方が家の前に置いていた木や植物が素敵だったことが鉢物を育てたいという思いにつながった」と言う。
「庭だと外からは見えないけれど、こういう軒先は通る人の目も楽しませてくれますね。みなさん、お隣同士で種を取り換えたり、植物の育て方や増やし方について情報交換したりしていますから、その結果としてこのような地域になったのではないでしょうか?」
根津で園芸が盛んな理由について、江戸の園芸にも詳しいランドスケープ・ガーディナーの青木宏一郎さんも下町の地域性を挙げる。
「コミュニティがしっかりしているからというのがありますね。こういう環境を了承し合えなければ発展しない。もともと日本人というのは植物を育てるのが好きな民族なんですね。英国などの上流階級のためのガーデニングと違い、日本では江戸時代から庶民や殿様まであらゆる階層の人々に園芸を楽しむ文化があったようです」
江戸時代にも、溝の上や縁側、床下に鉢を置いた記録がある。特に根津周辺は、昔から植木屋がたくさんいた地域でもあるようだ。
「天秤棒で売り歩く商人もいました。“売れぬ日はしおれて帰る朝顔屋”と川柳にも詠まれたように、そもそも昔から下町に植物を愛する土壌があったのは確かですね」