湖畔の町に立つ、アイヌ伝統料理の専門店へ
釧路空港から道道952号を経由し北へと向かうと、程なく阿寒摩周国立公園のエリアに入る。阿寒、摩周、屈斜路(くっしゃろ)の雄大なカルデラの周りに雄阿寒岳(おあかんだけ)、雌阿寒岳(めあかんだけ)をはじめとする火山が聳(そび)え立ち、亜寒帯性の針葉樹の林が手つかずの姿を残している。
山の間に拓(ひら)かれた道を進み、大地の起伏を体で感じながら湖と林、山が連なる原始的な風景を眺めていると、自ずと太古の時代へ想像が及ぶ。普段は、そんなことを一顧だにせず暮らしているのに、だ。
阿寒湖アイヌコタンに、アイヌの料理を出す店があるという。アイヌは北海道の先住民族で、「コタン」はアイヌの言葉で「集落」を意味する。店の名は〈民芸喫茶ポロンノ〉。これまで、半島の先にある漁師町から、山奥の農村まで、全国でさまざまな郷土料理、伝統料理を食べたが、〈ポロンノ〉のアイヌ料理は、どれとも似ていないように思えた。その味を確かめたいというのが、北を目指した理由だ。
〈ポロンノ〉に行く前に、少し回り道をして、阿寒湖の東に位置する弟子屈町(てしかがちょう)に立ち寄ることにした。理由は2つ。一つは、日本最大級のカルデラ湖、屈斜路湖を見るため。空と外輪山を美しく映し出すのに申し分のないスケールで、中島という大きな湖中島が浮かぶ景観は一見の価値がある。もう一つは、その湖畔に立つ〈弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館〉を訪れるためだ。
自然に依拠した独自かつ豊かなアイヌの伝統や文化については、事前に少しでも知っておいた方がいい。少数民族として、開拓時代に経験した苦難についても。1982年に建てられたこの施設は、祭礼、衣装、食文化などに関する資料展示がわかりやすくまとめられている。食の展示では、ジャガイモやヒシの実、淡水魚などで作る伝統料理がサンプルでビジュアル化され、酒器や膳など、祭礼用の漆器なども展示されていて興味深い。
熊の魂を神(カムイ)として執り行われる儀礼・イオマンテの映像も貴重だ。農耕が厳しい北国の暮らしに、信仰が不可欠であったことは想像に難くない。生きることと食べることは直結していて、その基盤にあるのは狩猟、漁労、採集。自然からの賜物だったのだから。
客の求めに応えて出した鹿やサケの汁定食が始まり
屈斜路湖から車で1時間ほど走ると、〈ポロンノ〉のある阿寒湖アイヌコタンに到着する。道内最大のアイヌコタンは、阿寒湖温泉の温泉街の一角に位置し、現在36戸約120人のアイヌの人々が、アイヌの文化を伝える商いをしながら暮らしている。その多くは、民芸品店。
熊の木彫りが有名だが、暮らしの道具から装飾品まで木で手作りするのはアイヌの伝統で、精緻な文様の彫刻は、近年、アイヌアートとしても注目を集めている。三角屋根の木の家が、広場を囲む坂道にぎゅぎゅっと軒を連ねる様子は、絵本の中の町並みのよう。大小の旅館が立ち並ぶ温泉街のメインストリートとは一線を画す、小さな別世界を形成している。
阿寒湖アイヌコタンが誕生したのは、昭和34(1959)年。湖畔一帯の土地の払い下げを受けた前田一歩園財団の3代目、前田光子が、アイヌの人たちが、文化を守りながら生活できる場所を、と、所有地を無償で提供したのが始まりといわれる。
郷右近好古(ごううこんよしふる)さん、富貴子さん夫妻が営む〈ポロンノ〉ができたのもその頃だ。元は、アイヌである富貴子さんの両親が開いた店。当初は、民芸品店の奥にアイヌの軽食を出す喫茶のカウンターを併設したスタイルだったそうで、それが「民芸喫茶」という名の由来になっている。
アイヌ料理の定食や、酒と楽しめる一品料理を出すようになったのは、富貴子さんが好古さんと結婚し、一緒に店で働き始めた頃から。「ここで食事ができたらいいのに」「もっとアイヌの料理を食べてみたい」という、お客さんの要望がきっかけだ。試しにオハゥという、鹿肉やサケを野菜と煮込んだ汁ものを定食で出したところ、評判はすぐに観光客やバイク乗りたちの間に広がった。まだSNSがなかった頃の話だ。
1975年生まれの富貴子さんは、カレーもスパゲッティも出てくる食卓で育ったけれど、子供の頃から、祖母が作るアイヌの料理に親しんでいた。好古さんは、岩手県出身。富貴子さんと出会ってこの地に移り住んだが「初めて富貴子のお母さんのアイヌ料理を食べたとき、素直に旨いと感じた」という。
程なく、民芸品店をやめ、料理だけを出す店として再スタートを切った。アイヌの料理を専門に出す店は、全国でも数軒だけだ。
欲張らず“分かち合う”自然の恵み、先人の生き方を映した料理
迷いながらメニューを眺めていると「まずポッチェイモ、いかがですか」と、富貴子さんが声をかけてくれた。
「子供の頃、ばあちゃんの家では、ホットケーキみたいに巨大なポッチェイモがよく出てきましたね」
冬の間、雪の下で保存し、雪解けとともに発酵させたジャガイモから得るでんぷん粉を練って焼く料理で、〈ポロンノ〉開業時から定番の軽食。生地はむちむちと詰まっていて、焼き目が香ばしく、噛むほどに甘い。今もジャガイモの粉から手作りする。〈ポロンノ〉の料理はすべて、「ばあちゃん」の味がベースだ。
春は山菜、夏から秋はキノコなどを採るところから食事の支度が始まる。山での食材調達は、主に好古さんの仕事だ。マウンテンバイクで10分の場所から、車で30~40分の山中まで。「今朝はタモギタケがよく採れた。オハゥに入れていますよ」と言うので、頼んでみることに。オハゥは、昆布だしと塩で調味する鹿やサケの汁のこと。淡くゆかしい味の汁から、山の香りが立ち上った。
鹿にサケ、山菜にキノコ。北の大地では、猟や釣り、山での採取で得たものが食を支える。ジャガイモなど、寒冷地でも育つ作物を使った料理は、少しも無駄にしないよう工夫する。稀少な米は、祭礼や儀式の時だけ。「ばあちゃん」から受け継いだ味は、アイヌの生き方そのものだ。
「アイヌの人たちは、決して食材を採りすぎず、少し残しておくんです。分かち合う、実りを明日へつなぐ。足るを知るということ」
好古さんは、そんな山での“振る舞い”を、「フチ」から学んだ。「フチ」はアイヌで古い教えを大切に生きる年配の女性を呼ぶ時の敬称だ。
「彼女たちは老木に“頑張ったね、ありがとうね”と、声をかける。アニミズムだとか言う人もいるけれど、もっと純粋に、自然を愛し、楽しんで“一緒に生きている”というか」
雨の翌朝はキノコが一気に顔を出す。フキが食われた跡で、熊が歩いた道がわかる。森の甘ったるい香りは、カツラの葉が朽ちる合図。「全部、命。山は面白い」と、好古さん。
厳しい自然を慈しみながら、知恵を絞り、命をつないできた味は、インパクトもなければキャッチーさもない。でも、お金を払えば手に入らないものがないように思える都会では、辿り着くことができない味。さあ、旅へ。そう促してくる。
暮らしは、食べて、歌い、踊ること。昔も今も
阿寒湖アイヌコタンは、温泉街の一角というロケーションもあり、多くの旅人を受け入れてきた。観光客の数が最も多かったのは、2002年。1970年代生まれの富貴子さんは、温泉街が華やかなりし時代に子供時代を過ごし、大人になった。
「小さな頃から両親の店が大好きで。ずっと店にいるような子供でした」と、振り返る。一人で旅をする年齢になっても、旅先で人に出会えば、「阿寒湖に来たら、うちに遊びに来て」と、店のカードを渡すのがお約束。好古さんとも、そのようにしてインドで出会った。
〈ポロンノ〉の本棚には、自然科学に哲学、文学まで、きちんと読み込まれた跡がついた本が並び、BGMは90年代の英国ロックから、テクノ、ダンスミュージックまで自在に行き来する。もちろん、アイヌの音楽も。20代で店を引き継いだ好古さん、富貴子さんは、ともに40代になったけれど、インドで出会った頃の自由な空気をまとったまま、カウンターに立ち続けている。
好きなことを追い続け、楽しく生きる。その暮らしの中に、山菜やキノコ採りが、ばあちゃんの味を作り続けることが、つまり〈ポロンノ〉という店が、シンプルに組み込まれているだけだ。アイヌ料理の店だけれど、過度な生真面目さや、教科書っぽさはなく、マニアックなカルチャーを内包しながら、何人をも拒まない温かさがある。開かれたアイヌコタンにある、小さくて、自由な料理店。
夜遅くになると、店内にムックリ(口琴)の音色が響くことも。実は富貴子さん、国内でも指折りのムックリの名手なのだとか。神秘的な振動音が夜空にこだまし、歌を、踊りを呼ぶ。保存や伝承が名目ではない。今を生きるアイヌの富貴子さんと、好古さんの、生活の延長線上にある〈ポロンノ〉。地味な味の忘れられなさの一端は、こんな夜にあるのだ、きっと。富貴子さんは言う。
「だって、“暮らし”だもの。作って、食べて、歌って、踊る。そういうものでしょう?」
他にも訪れたいスポット情報
MODEL PLAN
〈1日目〉
10:00 レンタカーで釧路空港を出発。
11:30 〈弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館〉見学。
13:30 〈郷土料理奈辺久〉でわかさぎ天丼。
14:30 阿寒湖アイヌコタン散策。
15:30 ホテルにチェックイン。温泉タイム。
18:30 〈民芸喫茶ポロンノ〉で夕食。
21:00 ホテルへ。明日に備え早寝。
〈2日目〉
08:00 朝ご飯。チェックアウト。
09:00 〈阿寒ネイチャーセンター〉で自然体験。
11:30 〈熊の家〉でお買い物。
12:30 阿寒湖温泉街でランチ。
15:00 〈Cafe&Gallery KARIP〉でコーヒーブレイク。
16:00 阿寒湖畔、展望台などを散策。
17:00 〈道の駅あいおい〉で買い物。空港へ。