記録のその先へ、社会的風景に向かって
リー・フリードランダー(*19)は、1948年からアメリカの社会風景を主題として撮り始める。大胆な構図にさまざまな視覚言語を織り込み、混沌とした都市の生活にユーモアと批評的なイメージを提示した。
時には鏡やショーウィンドウの映り込みを生かすことも。セルフポートレート、ポートレート、風景、静物、ヌードなど多彩なテーマで、パーソナルなストリートスナップに、テーマ性やモチーフなどのコンセプトを取り入れた。
ゲイリー・ウィノグランド(*20)は、絵画を学んだ後、フォトジャーナリズムのクラスに参加し、1950年代から『ライフ』誌を中心に活躍。その後、ニューヨークのストリートなど身の回りのプライベートな社会風景を撮影し始める。
ハンディタイプのカメラに広角レンズを使用し、路上で被写体に至近距離まで接近しながらパンフォーカスで撮影する独自のスタイルを用いた。ユーモアと知性に溢れた鋭い視点で、60~70年代のアメリカ社会そのものを切り取った。
現代美術家のエド・ルシェ(*21)は、1966年に一つのストリートを通りに沿って連続撮影し、蛇腹式の写真集、『Every Building on the Sunset Strip』を自費出版した。写真を地図のようにつなげるというコンセプチュアルな本を制作。
1966年にジョージ・イーストマン・ハウスで『コンテンポラリー・フォトグラファーズ:社会的風景に向かって』展が開催。ウィノグランド、フリードランダー、デュアン・マイケルス、ブルース・デヴィッドソン、ダニー・ライアンらが参加した。
1967年にMoMAで開催された『ニュー・ドキュメンツ』展はジョン・シャーコフスキーが企画し、ダイアン・アーバス(*23)、フリードランダー、ウィノグランドが参加。この2つの展示は、60年代における新たな表現姿勢の登場を取り上げ、アメリカのドキュメンタリー写真における転換期の到来を提示した。
アフリカのマリ出身のマリック・シディベ(*24)はマリのバマコで、1950~70年代にかけて、フランスの植民地から独立し変容しつつあるマリの瞬間をドキュメントした。シディベの業績は95年のカルティエ現代美術財団での回顧展を機に世界的に評価されるようになる。
ニューカラーと、新しいランドスケープ
カラーフィルムを用いた写真表現は、1970年代からアメリカでアートとして受け入れられていく。テネシー州メンフィスに生まれたウィリアム・エグルストン(*25)は、60年代からカラー写真をスタート。
写された南部の街並みや生活は、アメリカの原風景を強く感じさせ、アメリカ美術の伝統を受け継ぎながら、写真を新たな表現へと押し上げた。76年、一般的にはまだ無名でありながらシャーコフスキーによりMoMAで個展が開催され、カラー写真の波を決定づけるきっかけとなった。
ニューヨーク出身でアートディレクターとして活動していたジョエル・マイヤウィッツ(*26)は、フランクとの出会いをきっかけに、写真を始めた。
1962年からの3年間は、ウィノグランドとニューヨークのストリートをモノクロで、60年代半ばからはカラー写真も撮影。その後、8×10の大型カメラでカラーフィルムを用いる。79年にコッド岬のリゾート地を撮影した代表作『Cape Light』を発表。
エグルストン、マイヤウィッツらのカラー写真の新しい流れは「ニューカラー」と呼ばれる。ほかにロードムービー的にアメリカの原風景を切り取ったスティーヴン・ショアなどがいる。彼らはフランクの影響を受けながらも、カラー写真で時代の空気感を捉えた。
1975年、ジョージ・イーストマン・ハウス国際博物館で開かれた『ニュー・トポグラフィックス』展では、当時台頭していた新しい風景写真の動きに焦点が当てられた。
参加作家はルイス・ボルツ(*27)、ロバート・アダムズ、ジョー・ディール、フランク・ゴールケ、スティーヴン・ショア、ベッヒャー夫妻ら。「人間によって変容させられた風景」という副題のもと、人間によって生み出された環境の中で、自然風景に対する、批評的なまなざしを提示した。
成熟する都市とユースカルチャー
オクラホマ州タルサに生まれたラリー・クラーク(*28)は地元仲間たちとのドラッグ漬けの日々を3つの時期に分けて撮影し、1971年に『Tulsa』を発表。宗教的にも保守的で抑圧的な地域に反発した若者たちの刹那的な日々の私的なドキュメントは、フランクの『The Americans』とともに後世に大きな影響を与えた。
アメリカ現代写真とコンセプチュアルアートの影響を受けたフィリップ=ロルカ・ディコルシア(*29)は、1980年代から映画の舞台のように入念に作り込んだ日常生活の写真を撮り始める。2000年には望遠カメラとライティングを駆使し、ニューヨークの路上をドラマティックに撮影し、ドキュメンタリーとセットアップの狭間で人間そのものの存在を写し出した。
ニューカラーの波を受けたイギリス出身のマーティン・パー(*30)は、イギリス人らしいユーモアとシニカルな視点を持つスナップショットで知られる。1974年に初写真集を出版して以来、80冊以上の写真集を出版している。
ドイツ生まれのヴォルフガング・ティルマンス(*31)は、初期の1990年代に『i-D』誌などでストリートに佇む若者や、身近な友人たちをスナップした写真を発表。
2000年代、インターネット以降
インターネットが世界的に普及した2000年前後から、SNSの隆盛、デジタルデバイスの発達によって、現代における写真のあり方も変わりつつある。ストリートスナップには肖像権の問題による撮る側の制限も指摘される一方で、多様な手法と価値観の表現が生まれた。
1980年代から活動するイギリス出身のポール・グラハム(*32)は2007年に発表した12冊組の『a shimmer of possibility』で、アメリカを舞台に、一つの交差点を定点観測的に追うなどの日常の断片を捉えた。世界を完璧に作り上げるのではなく、人生のワンシーンを静かに見つめ、「映画のような俳句」と賞された。
イギリス出身のスティーヴン・ギル(*33)は『Hackney Flowers』で、ハックニー地区で採集した花や種、実などをスタジオで乾かして潰し、同地区で撮った写真の上に配置して、撮影した。さらに一部の写真を同地区に埋めて掘り出し、街の記憶をフィジカルに取り込んだ。
ロンドンで活動するアダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリン(*34)は、アーカイブが保管するアノニマスな写真を用いる。『People in Trouble Laughing Pushed to The Ground』では北アイルランド紛争の記録写真から部分を拡大。写真に新たな文脈を与え、ユーモラスな決定的瞬間へと変換した。
カリフォルニア出身のダグ・リカード(*35)はGoogleストリートビューや監視カメラを用いてストリート写真を再定義する。『A New American Picture』では、エヴァンズやフランクの写したアメリカの風景を現代の視点で再解釈した。
オスカー・モンゾン(*36)は『KARMA』で、マドリードの夜道で渋滞で止まる車を4年間かけて撮影した。強烈なフラッシュを使って人と車の関係性を暴くことで、都市の公共におけるプライベートな空間を露呈させている。