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ヒコロヒー「直感的社会論」:私の好きな季節、五月について考えてみる

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第34回。前回の「自制心なくやったツケは必ず巡ってくるもの」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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私の好きな季節、
五月について
考えてみる

五月に咲く花

花は、咲く時期を散らすべきである。あまりにも春、否、五月に集中しすぎているのではないのだろうか。その気持ちはわかるのだが、私だって花なら春に咲きたいに決まっているのだが、何が嬉しくてようやく顔を出した一生の最も美しい時期を寒空の下、ないしは猛暑の中で過ごさねばならないのかと、私が花でも五月にピークを設定するだろうが、それでも、今一度、考え直してみるのはどうだろうかと絵空事を書き記しているのである。

個人的な思いであるが、五月が最も好きな時期である。この時期が好きな理由のひとつに、あふれんばかりの花々が露出しだすという点もある。魅力的な花々が五月のもとに一堂に会し、一斉にえんやそれやと花としての実力を見せつけ出すのである。ひとえに最高の時期、この時期が永遠にとは言わないから四ヶ月くらいは続く仕組みにするべきだと真剣に気象庁にお便りを送った経験さえある。

しかし現実はたった一つ、五月はどうしたって一ヶ月間のみの期間限定フェアである。朝起きるだけで不安や悩みが溶け落ちるような快晴、日差しは暖かいのに快適に冷たい風、花のみならず緑までもが弾けるように元気になる。どうしてこんなに素晴らしい一ヶ月を過ごした後に、辛く苦しい夏を過ごさねばならないのだろうか。

もし薔薇(ばら)や牡丹(ぼたん)やツツジに芍薬(しゃくやく)、ネモフィラすずらんポピーに藤といった五月中旬オールスターが手分けをして五月からの脱出を謀り、各々に夏や冬に咲くことをしてくれたのなら五月を失った後の時間をどれほど落ち込まずに済むだろうか。いくらなんでも五月に集合しすぎている。四月が多少引き取っているとはいえ、これでは五月が忙しすぎる。来年一度、手分けしてくれないだろうか。このままでは五月を失ったばかりの私はしばらく立ち直れなさそうなのである。

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