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ヒコロヒー「直感的社会論」:この火の粉に飛び込むのは、勇敢か、愚かか?

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第29回。前回の「過日、わたしはある捜査本部を立ち上げることに決めた」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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この火の粉に
飛び込むのは、
勇敢か、愚かか?

クッキーとコーヒー

男性の知人から久しぶりに連絡が入り、どうしても話を聞いてほしいことがあると言われた。概(おおむ)ね、女性絡みの惚れた腫れたの一連だろうと考え、共通の女性の友人と三人で会うことになった。

蓋を開ければ想像通りで、彼が知り合って婚約を決めた女性と、その婚約を破棄した流れまでを粛々と説明された。彼の話を聞く限り相手の女性はどうにも虚言と痴欲にまみれており、私と女性の友人は生牡蠣(なまがき)をつまみながら、へえ、とか、やばあ、とか、ひええ、とかを述べていくわけだが、私も友人も十分に分かっていた。こいつ、まだ未練あんねんな、と。

どういうわけかこの世には、明らかに関わってはいけないと思(おぼ)しき言動を繰り返す恋人と、縁を切ることができない人たちが一定数いる。明らかにダメな女だと分かっているのに離れられない、明らかにダメな男だとわかっていてもそれでも好きだと宣(のたま)う、そんな人たちに出会うたびに私は、なんとも厄介事が好きな連中だなあと感心する。

同時に彼ら彼女らは大抵似たようなことを言う。私、ダメンズ製造機なの。俺、メンヘラ製造機なんだよね。ほな相手は被害者でお前が加害者やんけ、と思うわけだが、彼ら彼女らにかけてあげられる言葉はたったひとつ、あなたってば、優しいのね、のみである。

私と友人は彼に精一杯、別れて良かった、それは正解だったと、本心から伝え続けていたが、数時間の酒の席で彼の気持ちがどう変化するかなどいいかげんなものである。いろんな感情を知ってもいい。いろんな経験をしてもいい。

ただ、己が傷つくと分かっていて火の粉に飛び込むことを、勇敢と思うか愚かと思うか、それは本人だけが覚悟して決めていればいいのかもしれない。否、愚かであろうということ自体が勇敢なのかもしれない。

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