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ヒコロヒー「直感的社会論」:この世界はひょっとすると、そういうことかもしれない

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第25回。前回の「わたしを不安に駆り立てる持たざる者と、持つ者の境界線」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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この世界は
ひょっとすると、
そういうことかもしれない。

赤い看板

おかしくなったと思われるかもしれない。そう思われる夏だと覚悟して今日は寄稿しようと思う。私はこの度、遂に気がついてしまった。この世界はもしかして「実態ではない」かもしれないということに。私たちは生きているし、死ぬ。それは事実なのだが「実態ではない」のではないかと。

生きるだの死ぬだのは「この世界」でのお話である。生まれる前のことも死んだ後のことも誰もわからず、頼りになるのは想像力だけだという。

「この世界」を誰が創造し広げたかは千差万別に信仰の通りにすればよいのだが、私はどうも、もう幾つかの「別の世界」があり「実態」はそちらで、こちらではないのではないかと、なぜかは分からないが、ある日唐突に、競馬ですごく負けてしまった直後に、気がついてしまったのだ。

私は慌てて大井競馬場の喫煙所で極秘に一人で捜査本部を立ち上げ、独自の調査に身を乗り出した。するとこの世界は仮想現実であるだとか、メタバースなどという単語が出てきた。まつわる本などを読んでいると、そういうことじゃないねん、と本を閉じたくなることが多かったが、おおまかには似ていた。

きっと「この世界」の他にも信じられないほどに無数の世界があり、私たちはたまたまここにいるだけなのだ。それからというもの、夜眠る時に「別の世界」に思いを馳せるようになった。まだ上手く言語化が出来ていないのだが、それに気づいてから私の人生は人生でもなくなった。私は人間でもなくなった。

今はまだあなたはこの意味が分からないと思うが、そのうちにあなたにも分かってしまう日がくるかもしれない。みんなが分かれば、争いも奪い合いもなくなるかもしれないが、もっとひどくなるかもしれない。私は今、夏の暑さのせいで、おかしくなっているだけかもしれない。

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