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ヒコロヒー「直感的社会論」:語るに値する仕事を私はできているのだろうか?

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第16回。前回の「自己肯定感という言葉の不思議な使われ方について考えてみた」も読む。

 

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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語るに値する仕事を

私はできているのだろうか?

あるアメリカの映画を観たのち出演者のインタビューを眺めているとそこまで名があるわけではない若い出演女優が「これは語るに値する作品だと思ったから出演を決めた」と述べていた。

若くしてそこまで舵を切る勇気や強さ、偉そうだと反発されうることを言うその姿勢も内包していて印象に残ったが、とりわけ「語るに値する」という言葉が強烈に私の心をなじった。残ったのではなく、強く、なじったのである。

私はお笑い芸人をやっているわけだが、長年、自分がやりたくないことはやらない、そんなことはしてはいけないと心底思っており、一方で、こうして綺麗事ばかり言ってるから貧乏なのだということも理解していた。

心境が変わったのは30歳頃だった。やりたくないと思っていたことに抵抗感がなくなり、それはお金の為や生活の為、出世欲などというものとはかけ離れていて、ただ単純に、今までやってこなかったことをやることがそこまで嫌ではなくなっていた。いや、多少は借金のことはちらついていた。

そうしてある程度の仕事の間口を広げると、雪崩のように仕事が増えた。今では有難いことに多くの仕事をさせて頂いている。

ただ「語るに値する」仕事をしてきたのかと、彼女の言葉になじられた気分になった。単独ライブやネタであれば、語るに値すると胸を張れる。しかし他の仕事はどうなのだろうか、出演数が増えてもどこか体重を全て乗せられないでいる自分もいる。そしてそのような胸の内さえも「低空飛行」「媚びない」と、なにかに向けて形を整えられてしまう。

結局、私の本質は変えることができていない。やりたくないことはやりたくなく、抵抗感が少しなくなっただけで鬱陶しいことは鬱陶しいに変わりがないのだ。ではやりたいこととは何だろうか。お金でも名誉欲でもなく、語るに値すると、私だけでも胸を張れることかもしれない。たとえ世間が振り向かずとも、自己満足的であろうとも、自分がそう思える仕事をして飯を食っていくことだ。

そんなことできるのだろうか、しなくてはいけない、するのはめんどくさい、一体この先、この勝負に勝つのは私のどの心なのだろうか。

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