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ヒコロヒー「直感的社会論」:自己肯定感という言葉の不思議な使われ方について考えてみた

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第15回。前回の「人の風下に立つような真似をしてはならない。そう思えた夏」も読む。

 

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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自己肯定感という言葉の

不思議な使われ方に

ついて考えてみた。

ヒコロヒー「直感的社会論」:自己肯定感という言葉の 不思議な使われ方に ついて考えてみた

「私、自己肯定感が低くて」
ぽつりとそう切り出したのは喫茶店で隣の席に座った若い女性二人組のうちの一人だった。このままでは盗み聞きになってしまうと恐縮しながらも、小さな店内の狭い喫煙席では否が応にも彼女たちの会話がするすると鼓膜めがけてやってくる。

要約すると「私は自己肯定感が低く、自信がなく、ネガティブで、ゆえに人間関係にも繊細である」みたいなことだった。やかましいことを流暢にぬかしているなァと思いながらコーヒーを飲みつつ、次第に疑問点は次の項目に移った。

いつからか「自己肯定感」という言葉は「低い」ほうが自己を小さく見積もる、しおらしくかつ思慮深い人物像を想起させ、「高い」ほうは自己を高く評価する尊大でどこか気楽な人物像を想起させるようになったように思う。

そして後者の印象を持たれたくない人が殆どであるような気がするのは、「私、自己肯定感が高くて」と言っている人間に出会ったことがないからだ。

ではなぜ後者の印象を持たれたくはないのに、前者の印象付けは皆が得意になっているのか。それはやはり「自己肯定感が低い」と表明することで得られる自己像が手っ取り早いのではないだろうか。

私のような冷淡な人間は自己肯定感が低いだのと言われたところで(知らんがな)と思うわけだが、世の中の皆さんは優しいのだろう、なぜか「自己肯定感が低い」と高らかに表明する人たちにとても優しい。

大きな声で「私は自己肯定感が低いの、自信がないの、繊細なの」と叫ぶことの、一体なにが自信がなくて繊細なのだというのだろうかと不思議だが、蔓延しているこの空気感は無視して、私は黙って勝手に自己肯定感を高く持って生きていきたいものである。

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