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ヒコロヒー「直感的社会論」:私は周囲に、無駄な圧を与えない年の取り方をしたい

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第13回。前回の「AIによる効率化の先に、 経験という余白は 残されるのだろうか」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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私は周囲に、
無駄な圧を与えない
年の取り方をしたい。

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「私はもうおばさんだから」とやたらと快活に自称する女性がいる。大抵私より10か20年上の彼女たちは一見「加齢に伴う事象を受け入れた一歩先に行った女」という風に見えるが、時々、強烈な違和感を感じることがある。

もちろん違和感なくユーモラスにその言葉を使いこなす素敵な年上の女性たちもいるが、そもそも私は「おばさん」という言葉に侮蔑的な要素は感じないからか自虐的なニュアンスで「私はおばさんである」と自ら大声で言われるとどうすべきか分からないのである。簡単に笑って良いものかも分からない。

加えて私が「そんなことないですよ」と言っても私は年下なのだから嫌味と捉えられかねず、ゆえに聞こえないふりや過剰に反応しないようにしており、これが非常に面倒臭い。

彼女たちに対する違和感の大部分は、「私はおばさんである自分を受け入れている」と加齢を気にしていないように見せておきながら、結局は彼女たちが自分の年齢に誰よりも気にしていることをありありと感じさせられるからなのだ。

本当に気にしていないのならばしなやかにそこに居ればいいのに「私は分かっている」という無闇なポーズが、他者から攻撃を受けることを想定した上で予防線を張っているように見えてしまって頂けないのである。

過去に彼女らはおばさんだと言われて傷ついてきた経験があったから身を守るために張った予防線なのだろうと想像するが、違和感の所在はここだ。

自分は年齢をわきまえたおおらかな女、他の同世代の女性たちより自分を俯瞰的に見ることができている女に見られたい承認欲求と、本当は誰より気にしていそうだという乖離性。そんなに「おばさん」と言われることは怖いことなのだろうか。いつからそうなったのだろうか。私は周囲に無駄な圧を与えないおばさんになりたいと考える。

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