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ヒコロヒー「直感的社会論」:「誤解されやすい」と 言う人たちの自己解釈に、 ただひれ伏してしまう。

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第10回。前回の「危機的状況時における 「睡眠詐欺症候群」についての考察」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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「誤解されやすい」と
言う人たちの自己解釈に、
ただひれ伏してしまう。

夕焼け_風景

「私、人に誤解されやすくて」と宣う人口が男女問わず一定数いる。大体彼らの言いたいことはただ一つで「自分という人間は本当はもっと良い人間だ」というようなことをその言葉を封切りに曖昧に話し始める。

大変に健気な活動である。誤解されやすいと嘆く彼らが一体どういう思考でその発言をするに至るのかを考えざるを得ない機会は往々にして巡ってくる。

以前、知人ら数人と食事をしていた際に知人Aが知人Bに対して「君は本当に後ろ向きだな」と冗談混じりに言ったことがあった。

確かに知人Bはどちらかといえばネガティブな気質で疑い深く物事に対し否定的な要素があったため、私を含めた周囲の人間は「本当そうだよ」と笑っていたのだが、知人Bはそうではなかった。少し困ったような顔をしたあとでぽつりと「俺って誤解されやすいのかな」と呟いたのだった。

私も周囲の知人らも一斉に驚いたものだった。誤解も何もそう見えるけどな、と、全員が言いたそうにしていたがしっかりと全員黙っていた。雄弁は銀、沈黙は金である。

「誤解されやすい」と言いたがる人々は「他人が自身をどう判断し解釈するかはそれぞれである」という前提を許していないように感じる。確固たる理想の自己像を持ち、それについて異なる解釈を提示された場合にそれを「誤解だ」と言うのである。

本意ではない解釈は誤っていると判断する。その図々しさに私は脱帽し、ひれ伏すしかないのである。

しかしこれは逆手に取ればある一定数の人々を喜ばす言葉にも変化する。「誤解されやすいと思うけどわかっているよ」と囁いてあげることで他人を満足させることもできるのだろう。

ただ私は常日頃思っている。誤解されやすいと思い込んでいることが、大抵の場合大きな誤解であると。

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