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ヒコロヒー「直感的社会論」:AIによる効率化の先に、 経験という余白は 残されるのだろうか

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第12回。前回の「「誤解されやすい」と 言う人たちの自己解釈に、 ただひれ伏してしまう。」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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AIによる効率化の先に、
経験という余白は
残されるのだろうか。

建物_屋内

人工知能の発展によって将来的になくなる職種があるという論文をオックスフォード大学が出したのは、2013年のことだった。90%以上の確率で人工知能に奪われてしまうだろうと論じられていた職種は電話勧誘員やレジ担当者などで、高い確率ではホテル客室係、警備員、タクシーの運転手などもそうだという。それから9年後の今、時代は変わったというのだろうか。

仕事柄、タクシーでの移動が多い私は時々とんでもない経験をする羽目になる。高速に乗ってくれと言っても「あっ高速乗り損ねちゃった」と舌を出すキュートな人(仕事の失敗を愛嬌でカバーしようと見積もっているその傲慢さもキュートなものである)。

次を右に行ってくれと言っても何がどういうわけか見事に左に進み、呆気にとられていると「ま、こういう事があるのもタクシーだからね」と「また一つ人生経験が積めたね」と言わんばかりのしたり顔の人(素晴らしい押し付けがましさである)。

最も戦慄が走ったのは右に行ってくれと言えば「右に行って……欲しいのかい?」と妙なサディズムを披露され、挙げ句の果てに道を間違えられ続けた私が怒りをあらわにすると「謝って……欲しいかい?」と言ってきたあの野郎である(かなり良い声で言ってきたことも衝撃的であった)。

そういったトンデモ経験をするたびに心からタクシーのAI化を望むのだが、それは世の中に誕生し続ける前述したようなトンデモ経験をも奪うことに繋がるのだろうか。

しなくても良い経験を積むことや抱かなくて良い感情が生まれる事は非効率的であると明白だが、万事効率化して合理化が進む未来に、経験の余白は許されるのだろうか。とはいえ今日も横柄なタクシー運転手に出会っては一刻も早いAI化を願うのだから自分勝手なものであると、後部座席で考えているのである。

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