2022年9月、一冊のジャズの楽譜集がバークリー音楽院の出版部から上梓された。『New Standards: 101 Lead Sheets by Women Composers』。編者はドラマーでプロデューサーのテリ・リン・キャリントン。女性作曲家の作品のみ101曲で構成された初の『The Real Book』である。そこに挾間美帆さんも1曲提供している。
「テリ・リンからリードシート(主旋律楽譜)にできる曲を1曲提供してほしいというオーダーがあって、でも私のアルバムにはリードシートにできるような曲が『月ヲ見テ君ヺ想フ』しかなかったので、それを出しました。思い入れのある曲だったのでよかったです」
挾間さんはもともと、クラシックオーケストラの作曲を学んでいた人。楽器の緻密な構成を得意とするだけに、リードシート向きの曲がほとんどなかったのだろう。
「私としては、101人の1人に入れていただいて感謝しかないです。71年にポール・ブレイらによって編まれた『The Real Book』の原本には400曲の楽譜が掲載されているんですが、女性作曲家は1人だけだったという話です。何度目かの改訂でマリア・シュナイダーの『Last Season』が掲載されたのがニュースになるくらいでした。今回、女性作曲家がメアリー・ルー・ウィリアムスだけだった時代から100年かけて100人まで増えたわけで、それを思うと感動を覚えます」
現代では作曲家に限らず、女性の優れたジャズ演奏家が世界中で活躍しているが、昔は作曲家でさえ狭き門だったということなのか。
「ライブを観に行くと本場ニューヨークでも、曲が全然よくないミュージシャンがけっこうな確率でいるんですよ。私のように演奏できない作曲家がいれば、作曲の苦手な演奏者もいるわけです。その点ではジャズでも作曲家という存在の活躍できる場が増えた、と言えますね。
私が自分のアンサンブルを持とうと考えたときには、自分の曲に合った演奏ができるミュージシャンを集めることにとてもこだわりました。私が集まってくれたメンバーにできることは、一人一人が新たな可能性を見出せるような、そんな曲を書き続けることしかないと思っています」
彼女の言葉に、ニューヨークで自らのラージアンサンブルを率いる、作曲家としての矜持(きょうじ)が垣間見えた。
ライブで感じるジャズ、アルバムで楽しむジャズ
「私にとってジャズは、アルバムで聴く音楽ではないんです。特にコンボのジャズは生を観に行く音楽。体感するモノというイメージです。ニューヨークにいるときは週に1、2本は観に行っています」
海外で活躍する日本人ジャズミュージシャンのトップランナーである挾間さんは、聴き手としても相当な経験値を持っているのだ。
「ニューヨークに12年間住んで、毎週のようにライブに通って気づいたことは、コンボはアルバムで聴くより生で観た方が断然楽しめるということ。スタジオでアルバムのために演奏するのは、どうしても構えちゃうんでしょうね。スタジオでお客さんなしで録った音と、ジャズクラブでお酒を飲んで盛り上がるお客さんの前で鳴らす音とでは、違うのが当たり前ですよね」
言われてみればその通りだが、そこまで聴き分けるには記憶力も大切になる。そこで彼女が体感してきた中で印象に残るライブを尋ねた。
「忘れられないライブはたくさんありますけど、衝撃的だったという意味ではサリヴァン・フォートナーですね。アルバムで聴くと地味なピアノに感じるんですが、ライブでは一変してものすごく刺激的な演奏をするんです。とにかく現場でのクリエイティビティが群を抜いていて、右手と左手で全く違うことを弾いたりするんです。
それでいてしっかりグルーヴも感じさせてくれる。なぜそれをスタジオ録音のときにもやらないのって感じです。彼と彼のパートナーのボーカリスト、セシル・マクロリン・サルヴァントのライブは、私がニューヨークにいるときなら必ず行きます」
2人のリラックスしたパフォーマンスはYouTubeにもアップされている。実際の生の臨場感はないかもしれないが、挾間さんが惚れ込んだ演奏の一端を知ることはできるはずだ。では、共演したミュージシャンで、誰か印象的な人はいるだろうか。
「ぶっ飛んでるなと思ったのはジョエル・ロス、もう桁違い。2年前かな、彼とDRビッグバンドとでプロジェクトをやったんです。そのときに彼の曲の譜面を見せてもらったら、メロディはキャッチーなんだけど拍子がバラッバラなんですよ。息つく暇もなく拍子が変わっていく設定になっていて、それを演奏するデンマークの音楽家たちは目を白黒させていました。それから1週間リハを続ける中で聞き出したのは、彼の頭の中にはドラムのビートがすごく細かく流れていて、バックビート(裏打ち)は存在しないってこと。それを聞いて私は、ものすごい衝撃を受けました。
でもそのプロジェクトは、19人のメンバーがいるビッグバンドとのジャズなので、バックビートを作らないと呼吸が揃わなくなっちゃうんですよ。だから最終的には、バンドと一緒に演奏するときはバックビートありで、彼には引き続き彼独特のグルーヴ感の中で演奏してもらうということにして。とにかくジョエルが、私たちには到底及びもつかないとんでもない次元で音楽を考えていることはわかりましたね」
DRのメンバーには心からの労りの言葉をかけてあげたくなるエピソードだ。ところでミュージシャンの場合、自分の音楽に直接関係するライブを観に行くことが多い印象があるけれど、挾間さんはビッグバンドは聴きに行くのだろうか。
「現代のビッグバンドのリーダーは、マリア・シュナイダーにしてもジム・マクニーリーにしても、緻密に構成されたアンサンブルを聴かせるタイプの作曲家なので、生演奏よりスタジオで丁寧に録音した音の方が、作品の魅力をより堪能できると思います。それにライブの数も少ないですし、大編成のジャズはコンボとは逆に、アルバムで聴くことが多いですね」
ただ、大編成のジャズは挾間さんのビジネスマターでもあるだけに、純粋に楽しむことは難しいようだ。
「大編成のジャズの場合は特に、聴いているうちにアナリーゼを始めちゃうんですよ、なぜこう考えたんだろうとか。こればかりは作曲家の宿命だと思って諦めてます(笑)」