良い写真って、何だろう?幡野広志と永積崇が話しながら撮り歩き、見えてきた正体 〜前編〜
photo: Satoko Imazu / text: Chisa Nishinoiri / edit: Taichi Abe
コロナ禍で写真を撮り始め、初の写真集『発光帯』を発表した音楽家、永積崇さん。写真家として活躍しながらもワークショップを開くとたくさんの方々が集まる幡野広志さん。共にカメラを持って東京・日本橋の街を歩き、シャッターを切り、対話した、写真のこと。後編はこちら。
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幡野広志
永積さん、初の写真集を発表されたんですよね?
永積崇
そうなんです。実は、今日ちょうど刷り上がりが届いたばかりなんです。ぜひ見てください。
幡野
うわぁ、ほやほやですね。本人を目の前に拝見するのは光栄ですけど、めちゃくちゃ緊張しません?
永積
緊張します!初めての読者ですから。
幡野
でもそういう緊張感ってすごく大事ですよね。これはいつ頃撮られたんですか?
永積
コロナ禍に撮りためたものなので、2020年くらいです。国分寺あたりで撮影しましたね。
幡野
いやぁ、すでに完成されていますね。何だろうな、もともと音楽をやっている方って芸術に対する素養というか基礎があるから、最初からうまいんですよね。ちなみにどういうきっかけで写真を始めたんですか?
永積
コロナ禍って、外出する理由がないと外に出られなかったじゃないですか。最初は家にずっといたんですけど、カメラを持つと外に出たくなる。ワクワクする理由が生まれて、あの時期にちょっとポジティブでいられたのは、かなり写真の存在が大きかったです。
幡野
フィルム撮影ですか?
永積
そうですね。実家にたまたまあったフィルムカメラをいじりだしたら使いやすくて。ありがたいことに、周りにたくさんフォトグラファーの知り合いがいるので、電話したり、鬼のようにメールしたりして。シャッタースピードと露出ってどういう関係なんですか?とか質問しまくりましたね。
面白いものは、半径10m以内にある
幡野
初めて手にしたフィルムカメラでこれだけ撮れるというのはやっぱりすごいと思います。見たものを純粋に撮っていて、狙い澄ましたようないやらしさがない。
永積
実は幼い頃に自分が生まれ育った街なので、この道を通るといつも胸がザワザワしているなぁとか、子供の頃から何となく頭の片隅にあった記憶を辿った感じはあります。
幡野
やっぱり自分の生まれ育った街を撮るのってすごくいいですよね。写真を始めたての頃って、とにかく遠くに行く症候群みたいなのがあって。フランスとかインドとか、遠くの街に行って面白いものを見つけて撮っている気になるんですけど、そこにはあんまり何も写っていないというか。
僕は面白いものって自分の半径10m以内にあると思っているんです。だから自分と関係のある街ほど撮った方がいい。住んでいる人の写真って、ある意味最強ですよね。写真集の最後に文章が添えてあるのもすごくいいですね。
永積
そんなに褒めてもらえて、嬉しいですね。文章は載せるかどうかすごく迷ったんです。でもこの本のデザインをやってくれた方から、文章があるとよりいいと思うなと言われて。最初は言葉にできるかな?と思っていたけど、やっぱり頑張って書いて良かったですね。
これは幡野さんもラジオでおっしゃっていたけど、“見たものの向こう側にあるもの”の答え合わせができるのかな、と。
幡野
そうですよね。写真集を見た人は、永積さんが撮った写真だということはわかるけど、もし文章がなかったら、ここがどういう街なのか、どうしてこの街を撮ったかはわからない。でもそれがわかった瞬間に、なぞなぞの答えが見つかったような感覚で、写真の見方がすごく変わる。
幡野
今日も少し街を歩いて写真を撮りましたが、移動速度を落とせば落とすほどたくさん写真が撮れますよね。飛行機よりも船、国内だったら新幹線よりも各駅停車。電車よりも車やバス、最終的には徒歩が最強だと思う。
永積
徒歩はいいですよね。僕も大体、写真を撮る時は徒歩。カメラ好きの友達とカメラを持ってぶらぶらすることを、“シャーデー(=写真デート)”と呼んでいるんですが、住宅街とか路地裏の方にばかり足が向く。この景色は絶対誰も見つけてないよな、ってトレジャーハンターの気持ち。
地元の街を歩いた時も、一度離れてから久しぶりに戻ったので、すごく知っている街のはずなのに知らないことも増えている不思議な感覚でした。デッドストックのナイキを見つけているようなワクワクと、ちょっと寂しさもよぎったりして。色々な気持ちになるんですよね。