ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 作品22「大ソナタ」
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中では初期の最後の頃にあたる作品。「大ソナタ」という表題はいかにも門構えが大きいが、それほどの大曲ではない。どちらかといえばシンプルな作りで、後期のベートーヴェンのような内省的な要素はあまり見当たらない。
でも演奏家にとっては、そのぶん逆に音楽の作り方がむずかしくなるかもしれない。テクニックの見せ場もとくにないし、何を演奏の軸にしていくかを自分で見つけないと、音楽が薄っぺらくなってしまうから。
デビューして間もない若き日のグルダ(まだ23歳)の演奏はなかなか聴き応えがある。とくに企みもなく、頭から尻尾までただすらりと弾き切っているのだが(少なくともそのように聞こえるが)、流れがとても自然で、少しも退屈させられない。演奏者の呼吸と作曲者の呼吸がぴたりと合っている。
僕が持っているのは日本発売の(たぶん)疑似ステレオ盤だが、とくに音質に不満はない。

ベートーヴェン弾きとして定評あるブレンデルの演奏も、やはり若き日のものだ。30歳になったばかりのブレンデル、颯爽とこの11番を弾いている。僕はブレンデルのファンとは言えないけれど、この11番に関しては進んで温かい拍手を送りたいと思う。とくにメヌエットはチャーミングだ。
「知的処理」みたいなものも見当たらず、全体に音楽を演奏する純粋な愉しみが感じられる。とはいえ、先に挙げたグルダの演奏に比べると、それなりの「味付け」はある。

マレイ・ペライアは本来僕の好みのピアニストなのだが、この11番に関しては不満が残る。音楽のプログラムが前もってできすぎているというか、全体的に余裕みたいなものが感じられない。意図が先走って、音楽の滋味が浮き出てこない。現在のペライアならたぶんもっと落ち着いた演奏をするだろう。

僕はアール・ワイルドという演奏家になぜか個人的な興味を持っていて、機会があれば積極的に聴いてきたのだが、彼の演奏するベートーヴェンを聴くのは初めてのことだ。でもこれがいいんです。「ベートーヴェンだ!」みたいな気張ったところがなく、一歩身を引いて落ち着いた、均整の取れた、そして心のこもった音楽を作っていく。
不思議な……というと語弊があるかもしれないが、意外なところで意外な演奏をするピアニストであることは確かだ。

ルドルフ・ゼルキン。この人の演奏する11番ソナタは本当に素晴らしい。もう別格と言ってもいいくらいだ。真面目人間ゼルキン・パパの手にかかると、この比較的シンプルな初期のソナタが、なんだか身を賭して登攀すべき壮大な嶺のように思えてくる。
こちらも手に汗握りながら、その壮挙にしっかり見とれて(聴き惚れて)しまう。地味な曲だけど、ゼルキンというピアニストの美質を知るには最適かも。
