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村上春樹の『続・古くて素敵なクラシック・レコードたち』:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 作品22「大ソナタ」

村上さんが特に気に入っているクラシック・レコード486枚を紹介した書籍『古くて素敵なクラシック・レコードたち』は、2021年6月に刊行されるやまたたく間にベストセラーに。「こんな個人的な趣味嗜好の本が……」と不思議がりつつ、「本に収まらなかったけど、まだ語りたいレコードはたくさんある」という村上さんにお願いし、増補分を寄稿してもらいました。

初出:BRUTUS No.949村上春樹(下)「聴く。観る。集める。食べる。飲む。」編』(20211015日発売)

photo: Keisuke Fukamizu

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ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 作品22「大ソナタ」

ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中では初期の最後の頃にあたる作品。「大ソナタ」という表題はいかにも門構えが大きいが、それほどの大曲ではない。どちらかといえばシンプルな作りで、後期のベートーヴェンのような内省的な要素はあまり見当たらない。

でも演奏家にとっては、そのぶん逆に音楽の作り方がむずかしくなるかもしれない。テクニックの見せ場もとくにないし、何を演奏の軸にしていくかを自分で見つけないと、音楽が薄っぺらくなってしまうから。

デビューして間もない若き日のグルダ(まだ23歳)の演奏はなかなか聴き応えがある。とくに企みもなく、頭から尻尾までただすらりと弾き切っているのだが(少なくともそのように聞こえるが)、流れがとても自然で、少しも退屈させられない。演奏者の呼吸と作曲者の呼吸がぴたりと合っている。
僕が持っているのは日本発売の(たぶん)疑似ステレオ盤だが、とくに音質に不満はない。

フリードリッヒ・グルダが演奏した、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調」レコードジャケット
フリードリッヒ・グルダ(Pf) 日London SOL 2016(1953年)

ベートーヴェン弾きとして定評あるブレンデルの演奏も、やはり若き日のものだ。30歳になったばかりのブレンデル、颯爽とこの11番を弾いている。僕はブレンデルのファンとは言えないけれど、この11番に関しては進んで温かい拍手を送りたいと思う。とくにメヌエットはチャーミングだ。

「知的処理」みたいなものも見当たらず、全体に音楽を演奏する純粋な愉しみが感じられる。とはいえ、先に挙げたグルダの演奏に比べると、それなりの「味付け」はある。

アルフレート・ブレンデルが演奏した、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調」レコードジャケット
アルフレート・ブレンデル(Pf) Vox VBX 419(1960-62年)

マレイ・ペライアは本来僕の好みのピアニストなのだが、この11番に関しては不満が残る。音楽のプログラムが前もってできすぎているというか、全体的に余裕みたいなものが感じられない。意図が先走って、音楽の滋味が浮き出てこない。現在のペライアならたぶんもっと落ち着いた演奏をするだろう。

マレイ・ペライアが演奏した、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調」レコードジャケット
マレイ・ペライア(Pf) 日CBS・SONY 28AC1665(1982年)

僕はアール・ワイルドという演奏家になぜか個人的な興味を持っていて、機会があれば積極的に聴いてきたのだが、彼の演奏するベートーヴェンを聴くのは初めてのことだ。でもこれがいいんです。「ベートーヴェンだ!」みたいな気張ったところがなく、一歩身を引いて落ち着いた、均整の取れた、そして心のこもった音楽を作っていく。

不思議な……というと語弊があるかもしれないが、意外なところで意外な演奏をするピアニストであることは確かだ。

アール・ワイルドが演奏した、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調」レコードジャケット
アール・ワイルド(Pf) dell'Arte DBS7004(1984年)

ルドルフ・ゼルキン。この人の演奏する11番ソナタは本当に素晴らしい。もう別格と言ってもいいくらいだ。真面目人間ゼルキン・パパの手にかかると、この比較的シンプルな初期のソナタが、なんだか身を賭して登攀すべき壮大な嶺のように思えてくる。

こちらも手に汗握りながら、その壮挙にしっかり見とれて(聴き惚れて)しまう。地味な曲だけど、ゼルキンというピアニストの美質を知るには最適かも。

ルドルフ・ゼルキンが演奏した、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調」レコードジャケット
ルドルフ・ゼルキン(Pf) 日CBS・SONY 18AC752(1970年)

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