親子3人の連携プレーが温かい味わいを生み出す
ひょうたん(岐阜)
父さんが生地を小さく丸めれば、息子がのばし、母さんが包む。開店は夕方5時半からだが、朝から大車輪で包み続ける。「朝早うから包まんと間に合わんの」と父さんの野々村昭二さん。「手ぇ痛めちゃって、速くのばせんでね。でも、ヒロくん(息子)が手伝うてくれるから」。さすが親子、息ぴったりの連携プレーだ。
岐阜駅から車で10分ほど。住宅街のマンションの一角に、店はある。ここに暖簾を掲げたのは20年前。そもそもは、昭二さんの母が始祖だという。戦後、旧満州から引き揚げてきた母が、習い覚えた餃子の店を開いたのが始まりだ。
店名は〈八起〉。「七転び八起き」の八起だ。昭二さんは兄とともに母を手伝い、餃子の味は兄弟に伝わった。母の死後、昭二さんは兄と別れて愛知の小牧や岡崎に店を出すも、途中で体を壊し、仕事を辞めざるを得なくなる。一方、兄は〈八起〉をやり続け、相変わらずの人気ぶりであった。弟は岐阜に戻り、幼稚園のバスの運転手となる。
餃子店で使っていた大きさいろいろのフライパンや道具類は貸し倉庫に入れて、いずれ再開する時のために備えていたという。「どうしても餃子屋だけはやりたかったの。だから、倉庫代はバカにならんかったけど、払い続けとったのよ」
バスの運転手は12年続けた。餃子作りに十分な体力の回復には時間がかかったが、その間に、園児の送り迎えをしながら、新店舗の物件探しも続けていた。そして、運よく見つかったのが今の場所だ。「引き寄せられたんやね」。餃子作りはなかなかにハード。オープンした頃は、「夜10時に閉店してから朝5時ぐらいまで、こっくりこっくりしながら作っとったの。今は、ヒロくんが手伝ってくれるから、そこまでせんでようなったけど」。
早速、餃子を焼いてもらう。大きなフライパンに白濁した脂を入れる。その脂はラード?自家製だが詳細は秘密。「ともかく、体にいいものしか使ってないの。餃子用のタレもラー油も自家製やし。食べて元気になってもらえたらええと思とるわ」。もちもちの皮は小麦粉と水でこねる。どのくらい寝かせるのか、中身に入っている野菜は何か、ちょっと不思議な香りは山椒?それとも?なんと、すべてが秘密。
焼き餃子は、たっぷりのキャベツのざく切りを敷いた上にラフにドンと盛られて登場。「このキャベツ切るのも、ニンニクをするのも私の役目」と父さん。たっぷりのタレにおろしニンニクを落としたところに餃子をドボンと漬ける。フライパンについていた面はカリッ、かぶりつくと、中からジュワッと旨味が飛び出す。1人前12個。
最近、人気という水餃子の包みは息子の担当。「お母さんのはゆるくて、お湯の中で破裂することがあるから」と父さん。中身も皮もまったく変わりがないのに、水餃子と焼き餃子は食感も味わいも大きく違う。不思議だ。焼き餃子は食べ切れない分は持ち帰り可能。竹皮に丁寧に包んでくれる。
父さんは今年で80歳、母さんは73歳。「天気によっても違うから、これでも絶えず調整続けているのよ」と父さん。いつもニコニコ笑顔の母さんは、どこまでも父さんのフォロー役。そんな2人を見守る息子。餃子は家族の愛を包み込んで、さらにおいしくなる。
焼き餃子1人前12個 700円。(寸)6.5㎝、(皮)厚、(ヒダ)3、(具)多。