“グラフィック・ノベル”とは何だろうか?開いてみると、コマ割りの、いわゆるマンガ仕立てになった絵のページが目に飛び込んでくる。マンガとは違うの?という素朴な疑問。また、ほとんどが外国人作家によるもので、書店によっては外国文学の棚に置かれている。なるほど、ノベル(小説)でもある、と少し合点がいく。
最近、日本のグラフィック・ノベル好きの間で人気が高まってきているのが、アメリカのエイドリアン・トミネである。昨年公開されたフランス映画『パリ13区』の原作となったことでも話題になった。そのトミネの日本語版の担当編集者である国書刊行会の樽本周馬さんに、グラフィック・ノベルの魅力について話を伺った。
マンガとグラフィック・ノべル、どう違う?
まず、通常のマンガとなかなか区別のつきにくいグラフィック・ノベルを、樽本さんはどのように定義しているのか。
「いわゆる子ども向けのアメコミは、それこそ昔からずっとあって、最近はそれを原作にしたマーベルやDC映画が、日本の大人の間でも人気ですが、海外のコミック自体が日本で爆発的に流行ったことはないと思います。一方で、二十数年前にダニエル・クロウズの『ゴーストワールド』とかが出てきて、トミネとか、クリス・ウェアのような大人向けのコミックというか、グラフィック・ノベルが気になってきました。
こうした本は、自分の中ではアートブックと変わらないんですよね。絵柄やグラフィックが重要で、さらにノベル、つまり小説的な完成度が高いもの。文字通り、グラフィックとノベルがうまい形で重なり合ったものですね。最初にオッと思ったのが、このクリス・ウェアの『Jimmy Corrigan』でした。これはウチで出したかったんですが、20年前だとまだ難しくて。数年後に、プレスポップで、3分冊の翻訳版が刊行された時は、日本で紹介されて良かったなと思う半面、悔しかったですね。自分でやりたかっただけに。完成度が高くて素晴らしい日本版です」
グラフィック・ノベルは、1978年に発表されたウィル・アイズナーの『ア・コントラクト・ウィズ・ゴッド』に端を発すると言われるが、クリス・ウェアの『ジミー・コリガン 世界で一番賢いこども』は、グラフィック・ノベル史においても金字塔と言われるもので、親子3代の100年にわたる物語を、様々な視覚言語を駆使して重層的に描いた、極めてコンセプチュアルな作品だ。
「結局、私が最初に手がけたのは、それほどグラフィック・ノベル的ではないんですが、このマット・マドンの『コミック文体練習』(2006年刊)になりました。コラムニストの山崎まどかさんがブログで紹介されていたのを読んでこれは面白そうだ!と。レーモン・クノーの『文体練習』ってありますよね。あのコミック版で、同じ出来事を、カラー版とかタンタン版とか地図とか、99通りの方法で表現したコンセプチュアルなものです。それからしばらく空いて、いよいよトミネを2015年に出すんですが、残念ながら、この『サマーブロンド』はそれほど話題にならなかったんです。
そして、翌年出したのが、このリチャード・マグワイアの『HERE ヒア』です。これは、ロック漫筆家の安田謙一さんに教えてもらって、入手して直ちに版権の取得に動きました。企画書も一応書きましたが、絶対に通すつもりで」
浸透する、グラフィック・ノベル普及期
確かに、この『HERE ヒア』は、日本でも、原書が出た時から一部のマニアの間で話題になったが、それからそう時をおかずに日本版が出たのは驚きだった。樽本さんの当時の興奮ぶりが伝わってくる。
リチャード・マグワイアは、イラストレーターでもあるが、かつてニューヨークのポスト・パンクバンド「リキッド・リキッド」でも活躍したミュージシャンという変わり種で、前述のクリス・ウェアにも影響を与えている。そのマグワイアが、今のところ唯一発表しているグラフィック・ノベルがこの『HERE ヒア』だ。
ある家族の記憶が、彼らが暮らすその家というか、その場所の古代からの地球の悠久の記憶とともに、様々な時代を描いたコマが、マルチタスクの画面のように一つの絵の中に共存し、重層的に語られる。
「この元になっているのは、『RAW』というグラフィック・ノベルの雑誌に載っていた短編で、私もそれは知っていたんですが、それがいつの間にか長編の一冊の本になっていて。これは、定点観測で語られていく地球の歴史というか、まさしく究極のグラフィック・ノベルですよね。これは、すぐ売り切れました。
とはいえ制作費用がかさばるつくりなので、簡単に重版もかけられない中、ロバート・ゼメキスが、トム・ハンクス主演で映画化するという話が飛び込んできて。それで、思い切って重版してしまいました」
その頃から、世の中的にも、グラフィック・ノベルというワードを次第に目にするようになった。2017年には『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』、2018年には『MARCH』、2019年には『サブリナ』と話題になったグラフィック・ノベルが各社から出て、2020年には、翻訳家の原正人が編集主幹という形で、グラフィック・ノベル専門のレーベル「サウザンコミックス」も立ち上がった。
そんな流れの中、樽本さんは、2017年に再びトミネの短編集『キリング・アンド・ダイング』を出版した。この時から、日本版ならではの造本にも熱が入ってくる。
「この本の原書は、プラスティックのカバーがかかっているんですが、経年劣化するので、同じようにはやりたくなくて、日本版はUV加工(紙の強度を増すだけでなく、厚みが出て手ざわり感も楽しめる)にしたところ、トミネさんが喜んでくれたようで、昨年出した『長距離漫画家の孤独』の時は、日本版の版元として、わざわざ弊社を指名してくれました。
これは、トミネさんのマンガによる回想録で、モレスキンのノートを模した方眼紙に、絵が描かれたような仕様になっています。モレスキンにあやかってバンド付きになっていたりシールが貼られている体裁を再現するのに苦労しました。ただそのまま再現するだけではつまらないので、原書ではシルクスクリーン印刷の文字部分を箔押しにしたり微妙に変えてます。トミネさんが、自身のインスタグラムで、日本版の出来は『impeccable(非の打ち所がない)』と書いてくれたのは嬉しかったですね」
グラフィック重視ゆえの、翻訳の難しさ
その他、グラフィック・ノベルならではの日本版を作る時の苦労もあるようだ。
「グラフィック・ノベルは、テキストも含め、一つの絵柄として完成しているものが多いので、特にテキストが手書きの場合、苦労しますね。トミネさんは、英語の場合、手書き風のオリジナルのフォントを作っていますが、日本語ではそれがないので、それに近いフォントにしています。
また、そもそも英語を日本語に翻訳すると、1.5倍くらいの分量になるので、吹き出しに収めるために、映画の字幕のようなコンパクトさと同時に原文内容を凝縮した翻訳が必要なわけで、翻訳者の皆さんは大変だと思いますが見事に応えてくれています」
グラフィックが、洋書の入り口に
そんな樽本さんに、これから発刊予定のもので、かつ洋書初心者へのおすすめを聞いた。
「まずは、トミネの『ニューヨーカー』誌の表紙のイラストレーションなどを集めたこの『NEW YORK DRAWINGS』。一応、マンガも載っていますので。それから、セスというグラフィック・ノベリストがいるんですが、その『Clyde Fans』。これもスリップケース入りの凝った仕様で、今見積もりを取っているところです」
このように、すべてではないものの、まるでアーティスト・ブックのような、本そのものの魅力も堪能させてくれるグラフィック・ノベルの世界。まだ、未邦訳ものもたくさんあるので、洋書店で自分だけのとっておきの一冊を見つけるのも楽しいかもしれない。