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銀座〈ウエスト〉で整える朝。文・松浦弥太郎

今年70周年を迎えた〈銀座ウエスト本店〉。ここには銀座の喫茶文化の原点が息づいている。一杯のコーヒーを嗜むことが、なぜこんなに心地いいのか。半世紀を超えて愛され続ける偉大さを、改めて考えてみる。父との記憶を綴った松浦弥太郎さんのエッセイも。

photo: Masahiro Tamura / text: Yataro Matsuura

二週間に一度、朝の銀座を訪れている。

用事はふたつある。ひとつは、朝一番に行きつけの理容店で髪を切ってもらうこと。

髪は伸びる前に切る。理容店は、一番客になれというのは父の教えだ。

もうひとつは、髪を切った後に、これまた行きつけの喫茶店「ウエスト」に寄って、トーストハムサンドを食べること。

おいしいものに出合ったら、とことん食べ続けるというのも父の流儀だ。食べ続けると、その味のおいしい理由が必ずわかる。理由がわかると、もっとおいしくなると父は言った。

この習慣が、もう十数年続いている。

なんてぜいたくなのだろうと思っている。

ぜいたくというのは、かかるお金だけでなく、早朝からお昼まで、仕事から離れ、誰にも邪魔されずに一人で過ごすという時間の使いみちだ。

こんなぜいたくをしていたら、いつかバチが当たると思いつつも、この習慣が無ければ、今の自分はいないとさえ思っている。そのくらいに朝の銀座は、僕に元気をもたらしている。

朝の銀座の前と後では大違い。朝よれよれの自分が、午後には元気はつらつな自分に戻っている。朝の銀座はリフレッシュ効果抜群だ。

忙しさや疲れで、もはやこれまでと、へこたれそうになっても、朝の銀座が待っていると思うとちからが湧いてがんばれる。

髪を切ってもらった後の清々しさといったらない。朝だから余計にそう感じるのだろう。言ってみれば、身だしなみがとびきり整えられた自分がいる。

その足で、外堀通りを歩いて、「ウエスト」の木の扉を開く。店に入るたびに、懐かしさがこみあげてくる。そして、髪を切った後、「ウエスト」に行き始めたきっかけをふと思い出す。

清々しい気持ちでいっぱいになった時、せっかくだから、もっと銀座を味わおうと思い、ゆっくり過ごせる場所はないかと考えを巡らせた。

そんな時、子どもの頃、よく父に連れられて訪れた「ウエスト」を思い出した。

父と僕は、銀座に映画を観に行くのが、休日の楽しみだった。映画を観た後、父は、自分の大好きな「ウエスト」に僕を連れていってくれた。

父はいつもコーヒーとサンドイッチを、僕はオレンジジュースとシュークリームを頼んだ。

「ウエスト」で食べるケーキや飲み物は、なにもかもがおいしくて夢心地になった。

普段、厳しかった父だったが「ウエスト」に行くと、別人のようにやさしかった。 

父は僕に「ここで働いている人たちの言葉使いをよく聞いておきなさい。姿勢と歩き方をよく見ておきなさい」と言った。

「どうして?」と僕が聞くと、「きれいなんだ」と父は答えた。

「ウエスト」のきれいがどんなことなのか。幼い僕にはわからなかったけれど、父の思うきれいという基準がここにあると知れたことが、なんだか嬉しかった。

銀座〈ウエスト〉トーストハムサンド
ハムもマヨネーズもパンも、すべてがおいしいトーストハムサンド¥1,620。もちろん「きれい」だ。

「ウエスト」という存在は今でも、父との思い出が詰まった特別の場所だ。

大人になった今、あらためて「ウエスト」の美意識に向き合おうとしている自分がいる。

理容は、容姿を整えるという意味がある。

朝の銀座で僕は「ウエスト」を訪れ、「きれい」に触れて、さらに自分を整えているのかもしれない。

あの日の父もそうだったのかもしれない。