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“銀座様式”の背広を仕立てる、街随一の歴史あるテーラー〈髙橋洋服店〉

銀座四丁目交差点にほど近い晴海通り沿い。この銀座の中心地に、注文紳士服専門店〈髙橋洋服店〉がある。明治36(1903)年創業、この街で最も歴史あるテーラーは、1世紀にわたり多くの洒落者たちを魅了し続けている。そこに息づくのは、家族経営で受け継がれる、最高峰の技術と真摯な接客。銀座の地で次の100年へと伝えるべきこと、背広の未来を、店を営む4代目店主の高橋純さん、息子の翔さんに聞いた。

photo: Jun Nakagawa / text: Yoko Fujimori

銀座の職人に生まれて

ハイブランドが立ち並ぶ銀座のメインストリートで、ビルの3階に隠れ家のごとくひっそりと店を構える〈髙橋洋服店〉。エレベーターで3階にたどり着くと、ヘリンボーンの床にカリン材の壁、整然と積まれたファブリック類……と、「これぞ、テーラー」たるシックな佇まいに圧倒される。明治の創業から約120年、そこに流れる時間は、政治家から文化人まで、時代の洒落者たちを支えた日本の背広文化の歴史でもある。まずはダンディな親子の“銀座トーク”から始まった。

〈髙橋洋服店〉高橋純さん(左)、高橋翔さん(右)
談笑中の高橋純さん(左)、高橋翔さん(右)。純さんはクリームイエローのシャツにボルドーのシルクタイを、翔さんはネイビーのスリーピースにイタリアでの幸運のモチーフ・唐辛子が刺繍されたネイビータイを合わせて。

高橋純(以下、純)

実は僕自身、銀座で商いをする大変さや厳しさについてはあまり意識したことがないんです。ただ、銀座の恩恵はすごく感じています。僕は幸か不幸か銀座で生まれ育って、このビルの裏っかわが本籍地でね。当たり前のように親父の商いを継いでしまったので。でも、少し言葉は悪いですが、「お前は銀座の商人(あきんど)であり、職人なのだから、銀座にふさわしい商いをプライド持ってやらないといけないよ」とずっと言われてきたので、自然とこの街で商売をするスタンスが身についているのかもしれませんね。

高橋翔(以下、翔)

この方は銀座に対する感覚がちょっと特別ですから(笑)。

そのへんの道端でキャッチボールしたり、デパートのおもちゃ売り場や屋上を遊び場にして育ったから。

そういうエピソード、僕も欲しかったなぁ。僕は東京近郊で育ったので、学生時代に「銀座で食事をするから」と父に呼び出されると、何を着たらいいか分からなくて緊張しましたもの。あと、私の母が銀座に勤めていたんですよ。

出会いは、銀座で同じ職場に勤めていた彼女の親友と、僕の幼馴染みが結婚して、その結婚式の二次会でたまたま隣の席になったのがきっかけですね。

それもなかなかのエピソードですよ。お客様も「銀座にあるから」という理由で店にいらっしゃる方が多いですし、やはり特別な街というイメージは今も大きい気がします。

確かに、お客様が改まった気持ちで銀座に来てくださるうちは、この店も大丈夫なのかもしれないね。

〈髙橋洋服店〉4代目・高橋純
型紙の線を引く4代目店主の高橋純さん。磨かれた所作の一つ一つがなんとも絵になる。

英国風でもイタリア風でもなく、髙橋の洋服

純さんは1970年代半ばにイギリス・ロンドンへ、翔さんは2000年代にイタリア・ローマへと留学し、ともに名門で裁縫技術を学んでいる。〈髙橋洋服店〉の背広の基本となる「ハウススタイル」は当然、その影響を受けているのだろうか。この問いがお二人をいつも困らせるそうだ。

父がロンドンに行っていましたし、僕が留学する2000年代はクラシコイタリアブームだったので、留学先をイタリアに決めたんです。イタリアの名サルト(仕立職人)、ルイージ・ガッロが所属するオートクチュール組合がローマで学校を運営しており、そこに3年間通いました。授業は午前中だけだったので、午後からはガッロの工房で働きました。

それで、僕がロンドンで勉強しましたでしょう、だからお客様や取材の方に「〈髙橋〉さんの服は英国風ですか、イタリア風ですか」と聞かれるのが一番返答に困るんです。

たとえばフィレンツェはフロントダーツがないとか、ローマのルイージ・ガッロのやり方はフロントダーツが下まで抜けているとか……細かい点であれば地域ごとの違いはありますが、「イタリア風」という大きな括りでの特徴は一概には言えないんです。特に我々のような小さなテーラーは、それぞれの店ごとにハウススタイルがあります。とはいえ「うちは〈髙橋洋服店〉の洋服です」とお答えしても皆様がピンと来ないのも分かります。

我々が作っているのは、イギリスでもイタリアでも買えないもの。イタリアではマエストロが手描きでビャッと線を引いて、それを職人とともに縫っていくスタイルですが、我々はもっとやり方を統制して、フロントカットもアームホールもどの裁断師が裁っても同じになるよう、型紙を作っている。この代々受け継がれている型をもとに仕立てていくと〈髙橋洋服店〉の服になる……というのかな。

いいとこ取りと言いましょうか、先代、先々代が築いてきた土台の上に、イギリスとイタリアのよさを取り入れて今の〈髙橋〉のスタイルができている、という答えが最も正確かもしれません。着る方々が日本人なのだから、日本のお客様にお気に召していただける洋服を作らなければお納めできないですから。

流行でなく長く着られるものを求めるお客様が多いので、しいて言えば上皇陛下の服のように、いつの時代に着てもおかしくない服をお納めするのが、うちのハウススタイルなのかもしれないですね。

そう。昔は外務省にお勤めのお客様などから、サヴィル・ロウで作った背広が具合が悪いので直してほしいという依頼もよくありました。そういう方々は日本の洋服を求めてらっしゃる。やはり我々の服は、「銀座の、〈髙橋〉の洋服」なんですよ。

背広の未来と、普遍的な服のこと

1998年にビルを立て替えて、路面店からこの3階に移ったときはとても不安でしたが、仮縫いをしている姿も外から見られないし、ゆっくり相談できるので、路面店の時代よりもお客様の滞在時間がものすごく延びました。今となってはよかったですね。

以前は仕事で必要なので定期的に同じ背広を仕立てる、といった方が多かったのですが、今はやはり洋服が好きでいらっしゃるお客様が増えています。背広も趣味の世界になりつつあるというか。

あと、かつては背広とセットだった帽子の文化もなくなったよね。ここ数年、帽子がようやくまた流行り出したので、やっとこの年になって遊びで帽子をかぶり始めたのだけど、夏のパナマはまだしも、冬のソフトは街で浮くねー(笑)。

僕もイタリアにいたときは〈ボルサリーノ〉の帽子を集めていたのですが、あちらでは浮くことはなかったけど、日本でかぶるとチラチラと見られちゃう。帽子もそうだけど、最近、世の中はカジュアルダウンが進むばかり。きちんとした背広を着たいと思う人も減ってきて、背広はそんなに嫌われているのかと思うと心が痛みます。でも、やっぱりネクタイっていいですよ。朝ネクタイをするだけで気持ちがピシッとしますから。

もうね、2人で街に氾濫する今どきの背広の話をしはじめるとキリがない(笑)。我々仕立て屋の服は生地を選んで仮縫いして、本縫いが上がってくるまでの時間が楽しみなものですが、それが待てないから皆さん既製品を着てしまう。でもそれは、その瞬間に流行っている形しか着られないことでもある。僕は常々、うちの店では普遍的な服を納めたいと思っているんです。

〈髙橋洋服店〉談笑する高橋純さん(左)と高橋翔さん(右)
話はいつしか家族の行きつけ、銀座5丁目の焼鳥屋さんの話題に。「祖父(3代目社長・馨さん)が大好きな店でした」(翔さん)。「僕が大学生の頃からだから、もう50年通ってる。その頃から変わらない店員さんがいてくれるんだよ」(純さん)。

受け継がれる、家族経営の理想の形

生前、父に「お前が継いでもいいと思うような店を残してやるが、それを継ぐかどうかはお前の自由だ」と言われていたのですが、自分もそれと同じことを考えています。

祖父も父も、そうした受け継ぐための基盤づくりをしっかりとしてくれているので、この10年くらいでうまくバトンタッチができていると思うし、とても感謝しています。僕も大学の頃から店に来て、最初は接客の仕方を見せてもらって、少しずつ覚えていったので。

親父が、それこそ10年、20年がかりで僕にお客様を引き継いでくれたんです。最初にお客様のお相手をするときに、僕を横に置いて雑談を聞かせながら、お客様の生地の好みを覚えさせたり、次に仮縫いを見せて、今度は半分やらせて……とね。そうした積み重ねで、親父が不在のときに「じゃあいいよ、純ちゃんで」となって、晴れて世代交代ができたわけです。寿司屋などでも「2代目で味が変わっちゃって」なんて話をよく聞きますが、お客様の信頼を失わずに受け継いでいくのは本来とても時間のかかること。今は僕もなるべく口を出さないで、後からお客様にご挨拶だけするように心がけています。

何回目かでスッと社長が出てくると、お客様に「ついに俺もここまできたか!」と感動されちゃう。そういうことじゃないんですが(笑)。

私たちは裁断も型紙も手で起こしていますし、アトリエでもひと針ひと針、手作業で仕上げています。我々がチェックしていない服はないし、名前を存じ上げないお客様は一人もいらっしゃいません。これは家族でこじんまりと経営しているからこそできることだと思いますし、その信頼関係を変わらず受け継いでいきたいですね。

「Clothes make the man」。身なりが人を作るとはよく言ったもので、何より印象的だったのはお二人の立ち姿のカッコ良さ。時代は変わろうとも、こうしたテーラーがある限り、「銀座で服を仕立てる」ことの普遍的な喜びは変わらないのだ。