BRUTUS
歌謡曲との出会いはいつ、どの曲からですか?
小西康陽
1968年、69年かな。小学校高学年。ピンキーとキラーズを好きになったのが最初です。いずみたくさん作曲・編曲によるデビュー曲「恋の季節」。
ただ、僕が最初に買ったシングルはその後に出た「涙の季節」でした。
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両曲とも詞は岩谷時子さん。
小西
その後、高校生の頃、郷ひろみさんが「恋の弱味」(76年)という曲を歌っているのをテレビで観て。「ミルクの好きな仔猫を抱きしめて♪」という歌で、なんてカッコいい曲なんだ!と。それが、筒美京平という作曲家との出会いでした。
もちろん、それ以前に「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「また逢う日まで」は聴いていたんです。でも、意識したのはそこから。しかし僕は、69年から洋楽を聴き始め、72年にはっぴいえんどを聴いてしまったので、好みが偏向してしまっていて。
だから、すごくいい時代の歌謡曲と一緒に生きてきたのに、その良さをわかってなかった。長い間、ピンク・レディーがダメだったし。
B
70年代後半、作詞・阿久悠&作曲・都倉俊一のコンビが築いた一大ムーブメントでしたが。
小西
全然聴いてなかった。でも、7〜8年前に覚醒したんです。
DJの美和子さんと多胡!さん、少林兄弟というバンドのワタ・ルーさん、いまそのお三方と僕で『レッツゴー・ヤ〜ング?』という昭和・平成の歌謡曲でDJするパーティを定期的に開催しているんですが、彼らのおかげでピンク・レディーやチェッカーズ、シブがき隊とかの歌の素晴らしさを知って。いま夢中で追いかけているところ。
まだ出会えていない、未知の曲はたくさんあるんですよ。
B
つまり、小西さんにとっての歌謡曲は「未来の音楽」。
小西
そう。まさかこの年になって虎舞竜の前身バンド、トラブルのレコードまで買うとは(笑)。
B
マジっすか!
小西
ということで。20枚に絞るのは悩ましいけど、前半が僕のオールタイムベスト、後半がDJでかける曲だと思ってください。
B
わかりました。では、順番に。まずは、津山洋子、大木英夫「新宿そだち」(1)。67年の曲。
小西
リアルタイムで聴いていたはずですが、意識したのはそれより後、70年代に入ってから。昼のラジオでかかってたんですが、一聴しただけで耳を奪われた。
一体誰が作った曲なんだろうと思ったら、遠藤実さんだったんです。
B
舟木一夫、千昌夫、森昌子などを育てた歌謡界のレジェンド。
小西
しかも、遠藤さんは日本で初めて、自身のレーベル〈ミノルフォン〉というインディーレーベルを立ち上げた人で、山本リンダさんの「こまっちゃうナ」(66年)は、ミノルフォンの最初のヒット曲。
だから、「新宿そだち」は「こまっちゃうナ」とイントロが似ていて。遠藤さんに見えていた歌謡曲はこれなんだなと。後のシャ乱Q「ズルい女」に通じるものを感じます。マイナーキーで「アナタこれ好きでしょ」といきなり持っていく感じがね(笑)。
B
菊地正夫「スタコイ東京」(2)。さかのぼって60年の曲。
小西
まずは、聴いてみてください(とレコードをかける)。
B
うわ、クセ強すぎ(笑)。
小西
三橋美智也的民謡調からラップ調へ。その後の吉幾三さんのヒット曲は完全にこれですよね。
B
「俺ら東京さ行ぐだ」の源流。
小西
当時、由利徹さんなんかが方言で笑わせるコントをやってたけれど、そのアイデアを音楽にしているところがすごいです。
B
ペギー・マーチ「コンニチハ サヨナラ」(3)。岩谷時子&いずみたく。69年の曲です。
小西
とにかく、岩谷さんの詞が素晴らしい。「おひげがの〜び〜た〜♪」のところでいつも涙が出ちゃう(笑)。
岩谷さんは、なぜこんなふつうの言葉ですごい詞が書けるんだろう。筒美京平さんとお話ししたとき、「岩谷さんは別格ね。あの人は詩人だから」と。
B
そして、野坂昭如「マリリン・モンロー ノー・リターン」(4)。71年。これはドリフ的なオモロ曲として認識してました。
小西
この曲のすごいところは、作詞の能吉利人さんは作曲した桜井順さんの変名ということ。
B
てっきり野坂さん作詞かと。
小西
と思うでしょ?違うんです。桜井順さんはどんな作曲家かというと、CMソングをたくさん手がけた人。桜井さんのCMソング集(『桜井順 CM WORKS』)をぜひ聴いてほしい。知ってる曲だらけです。
「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか♪」(注:サントリーオールドのCMソング)って野坂さんが歌ったやつもそう。とにかく、桜井さんは、歌手としての野坂さんを発掘したんです。歌謡曲の歌手には出せないふてぶてしさと、インテリっぽい虚無感と。
だから、多少の音程の甘さやリズムの甘さは関係ない。そこを見抜いた桜井さんは本当にすごい。
B
さて。5曲目は、日吉ミミ「男と女のお話」(5)。70年。
小西
忘れられるにはもったいない名曲。あと、日吉ミミさんは歌手としても素晴らしい。西田佐知子系の、ノンビブラートで、ちょっと歌謡曲っぽいこぶしのあるドライな歌い方。浅川マキさんや研ナオコさんもそのタイプです。
B
これは、すごいタイトル。梅宮辰夫「ウッシッシ節」(6)。
小西
最高のポイントはね(とレコードをかける)、ここ。「俺もどうやら 運がどうやら 向いて来た…ような気がするぜ〜♪」
B
あはははは!
小西
語尾に「ような気がするぜ」をつけたところが偉い! これが作詞・作曲というもの。山下達郎さん言うところの「フックライン」です。
映画『不良番長 突撃一番』(71年)の挿入歌で、映画では、5人のダメな男たちが、これを歌いながら踊るんです。
B
美川憲一「おんなの朝」(7)。こちらも70年の曲。
小西
当時、美川さんは演歌・ムード歌謡の印象が強かったので、突然こういうシャンソンっぽい曲で出てきてビックリしたんです。一夜限りの情事の歌で、詞が非常にデカダンでおしゃれ。
つい最近気づいたんですが、作詞は西沢爽さんで作曲は米山正夫さん、主に美空ひばりさんをやっていたコンビなんです。西沢さんはこんな詞も書くんだと。僕は、音楽に関してはずっと、興味があるのは作曲とアレンジ、サウンドメイキングのことばかりだった。
でも、ピチカート・ファイヴ解散後、ファンの人に「昔好きでした」と言われ話をすると、ほとんどの人が僕の詞のことばっかり言うんですよ。サウンドではなくてね。
B
そう思います。ピチカートの歌とは小西さんの詞だったなと。
小西
それからは「日本の曲は詞が重要」と思うようになり。次の曲も完全に詞で引っかかりました。
B
麻生よう子「逃避行」(8)。これは74年の曲ですね。
小西
この時代から詞が長くなるんです。ちょっと聴いてみてください(とレコードをかける)。
B
「あのひとから 言われたのよ 前五時に 駅で待てと♪」。あ〜、歌詞が非常に映画的です。
小西
そう。67年にジミー・ウェッブが作詞・作曲した「恋はフェニックス」が全米で大ヒットしたんですが、その曲の詞が、「僕がフェニックスに着いた頃、彼女は目を覚ますだろう」で始まる物語で。
このスタイルを歌謡曲にいち早く取り入れた作詞家が阿久悠さんだったと思う。ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」。
B
「ジョニィが来たなら伝えてよ 2時間待ってたと♪」ですね。
小西
映画のワンシーンみたいな物語を切り取った曲。70年代はそういう歌がブームになったんです。和田アキ子さんの傑作「コーラス ガール」もそうでした。
B
柏原芳恵のヒット曲としても有名な、讃岐裕子「ハロー・グッバイ」(9)。77年の曲です。
小西
「かわいいカップになりたい♪」って、こんなにインパクトのある詞もないと思う。「あなたは銀のスプーンで 私の心をくるくるまわす♪」はセックスの暗喩かしらと(笑)。
作詞は、「神田川」を書いた喜多條忠さんです。
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豊島たづみ「とまどいトワイライト」(10)。作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童。79年の曲。
小西
これも詞がいいんだなあ。僕は、「映画の話もそろそろつきて 店を変えようと 誰れかが言いだす」という一節が大好き。
B
この曲が小西さんのフェイバリットとは! 安全地帯「恋の予感」(11)。84年のヒット曲。
小西
大好きな曲。当時から好きでした。単純に曲がいいし、詞も素晴らしい。あと、僕は、玉置浩二さんのことをすごく尊敬してるし、すごく嫉妬もしてる。だって、僕と同い年で、出身も同じ北海道。
なのに、玉置さんは薬師丸ひろ子さんと結婚し、その後、青田典子さんと結婚なさった。そして、歌はうまい!曲も名曲ばかり!もう、悔しさしかない!
B
地団駄を踏む小西さん(笑)。
小西
以前、池田聡さんのアルバムをプロデュースしたとき、玉置さんの曲が2曲あって、デモテープを聴いてみたんです。
そうしたら、玉置さんがギターを弾きながらラララと歌っているんですが、途中でギターを止めて、「うーん、いい曲だなあ〜」って言ったんです(笑)。この人には一生かなわないと思った瞬間でした。
B
そして、CoCo「はんぶん不思議」(12)。作詞・及川眠子、作曲・岩田雅之。90年の曲です。
小西
洋楽好きの作曲家ならば、絶対に嫉妬してしまう名曲。メロディの一節に、シェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」のフレーズが入ってるんですよ。ポップスファンは唸りますね。
ということで、ここまでが一音楽ファンとしてのオールタイム・フェイバリットでございました。