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社会学者・古市憲寿。「ぼくの、こう育てられた。」

子供の頃の育てられ方がクリエイティビティをどう育んだのか。社会学者・古市憲寿さんが幼き思い出を語ってくれた。

Photo: Tomo Ishiwatari / Text: Asuka Ochi

食事も、欲しいものも、自分で選ぶ。
好きにさせてもらえる環境があった。

大学進学と同時に鹿児島から上京して公務員になった父と、自由気ままで個人主義の母。小学生で東京から埼玉に越し、いわゆる昭和の家庭で育った僕には、2人の妹がいます。両親は小さな妹たちに手一杯だったんでしょう。子どもの頃は祖父といる時間の方が長かったですね。

育った環境のせいか、兄妹3人には似たところがありません。家族仲が悪かったわけではなく、各人がバラバラに生活しているような家でした。

7人家族なのにテレビが8台あって、それぞれの部屋で個々に好きな番組を見るのが普通だったし、食事もオードブルのように共有するメニューはあるものの、みんな好き嫌いがあったので、各人が別々のものを好きな時間に食べるのが常でした。

社会学者・古市憲寿が、6歳のクリスマスイブに祖父と妹と写った写真
1991年撮影/6歳のクリスマスイブに、祖父と妹と。誕生日にもケーキはあったが、家族全員で食卓を囲むようなイベントにはならなかったという。

野菜が一通り食べられなくて偏食だった僕は、今はチョコレートですが、一時期はステーキばかり食べていたこともあります。でも「野菜も食べなさい!」というのはなかった。だって、食べられなかったし(笑)。

僕は小学生の頃から春休みに1年分、誰に言われるでもなく、その年の予習を終えているような子でした。両親は教育熱心ではなく、期待もされてはいなかったけど、成績は良かった。もともと親が買い与えたくないような変なオモチャを欲しがることもなかったから、好きで欲しいものはだいたい買ってもらえました。

それに、体育とか嫌いなこともやらなくてよかった。振り返ると、中学生の頃から、インターネットで世の中の大体のことを調べられたのは大きかったですね。早くから自分用のパソコンを買ってもらったのは、両親に感謝したいことの一つです。

本を読んだり絵を描いたりしていた祖父からの影響もあってか、幼少期の僕の愛読書は図鑑でした。特に好きだった宇宙と魚の図鑑はわざわざ東京で一番大きな本屋さんまで行って手に入るだけ買ってもらい、集めた情報を取捨選択して、オリジナルの図鑑に作り直したりしていました。

社会学者・古市憲寿
事務所の打ち合わせスペースにて、本誌の都バスの連載を執筆中。半端ない集中力!テーブルの上にはチョコレートが。

バスも好きで、よく祖父と乗りに行きました。行きたい場所があるわけでもなく、なるべく乗ったことのない路線を使い、いかにバスだけで東京を回れるか、前日に計画を練るのが好きでした。

テレビ番組なら、本編より番組を紹介する番組や『TVガイド』、音楽もコンテンツより、ランキングを100位から一気に流す『CDTV』やオリコン雑誌の方が好き。一覧性があって、とにかくパッとダイジェストでわかるのが良かった。初めて読んだドラえもんも、漫画でなく解説本でしたし。

考えてみたら、やっていること自体は昔から変わっていないのかもしれません。情報を集められるだけ集めて自分なりに整理し直す作業は、今の仕事と同じようなものです。